中世の医学がアレだった最大の理由

中世の医学がアレだった最大の理由は度を越した権威主義がその一端にある。

例1:古代にギリシャのガレノスという人が作った解剖学の本がある。
実際は人間ばかり解剖するわけにはいかず結果としてサルの解剖図も流用されていた。
まあ、それでも結構出来が良い本だったから近代まで使われていた。
さて、その本を使って教授達が生徒の前で解剖する。当然ながら解剖図と合わない所が出てくる。
その時に教授は解剖図の間違いであることを認めず、
「見なさい。この死体がここの部分が間違っている」
と言って生徒達に教えていた。

例2:手洗いが感染の予防に重要だということが西洋で知られるようになったのはかなり後になってから。
発見したのはとある若い医師。彼のいた所では解剖室と出産質が近くに設置され、医師達はその間を手を洗わずに行き来していた。その為、産褥による死亡が極めた高かった。
その関連性に気付いた医師は、手を洗えば産褥による死亡を防げることを見つけた(その当時、は病原菌の概念がなく、経験則的に気付いた)。ところがその施設における上位の医師達が
「医業とは神聖なものである。手を洗うなどそれを不潔な行為であるかのように扱うとんでもない所業だ」
と手洗いを拒否。それどころか手を洗う習慣を広めようとする運動を妨害しようとさえした。

それに「今にして思えば悪くしてるだけじゃん」っていう治療だって、ここ最近だって結構ある。
例えば慢性心不全に対して、現在は心臓の負荷を下げるためβブロッカーという心臓の働きを弱める薬を使っていたがちょっと前までは「心臓の働きが弱ってる⇒心臓を刺激する薬を使う」っていう論法で逆の薬を使ってかえって寿命を縮めていたりした。
まあ、そう言うのがすぐに改善されるようになったのはいわゆるEBM(根拠に基づく治療)っていう概念の普及で有り、それの大本はデカルトらによって確立された西洋科学的思考方法にある。
西洋医学が他の医療と比べて確実に優れているのはそこだろうし、良いかえればそれ以前の医療は洋の東西問わずあんまり変わらんのかもなあ。


465 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2011/07/24(日) 09:18:47.00 ID:i7MX5cVe0
>>450
1685年二月一日、イギリス国王チャールズ二世がおそらく腎不全で危篤状態に陥った。
この日から崩御の二月6日まで医師団が行った治療はほとんど無意味かつ拷問だった。

王はまず多少の瀉血のうえ、アンモチンとキュラソーを混ぜた催吐剤、硫黄を入れた芍薬水を飲まされた。さらに2時間おきに浣腸、浣腸剤は葵の葉、すみれ、砂糖大根、ウイキョウ、亜麻の種、シナモン、カルダモン、サフラン、サボテンに寄生する虫、アロエ、これらの混合物。その間にも李のシロップ、岩塩、下剤などが投与され、挙げ句頭髪を剃って発泡剤を塗りつける。
この後偶然に王の意識が回復したので、医師団は意思を強くした。甘草、アーモンド、大麦の煎じ薬、そして下剤。
火傷するほど熱い膏薬、虫の粉末入りを全身に塗る。両脚の裏にはタールと鳩の糞まで塗りつける。
王の回復を「確信した」医師団はブラックチェリー、砂糖、ラベンダー、真珠の粉、有りとあらゆる発作防止の手を講じる。あげく「変死体の頭部から抽出した液体」を服用させる。

しかし結局、2月6日正午、国王は崩御した。
医師団の治療は当時としてはベストだが、現在から見れば拷問である。
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