日本とメキシコの間に国交さえなかった頃の話

1800年代後半、日本とメキシコの間に国交さえなかった頃。
金星の接近を観測するため日本にやってきたメキシコの観測団は、日本に観測所を建てる、どころか、どこで観測して良いかも判らないといった状態でした。
とはいえ、わざわざ遠方から学術研究の為に日本に来たメキシコ人。
その使命感に敬意を感じた日本政府は、当時外国人の居住さえ認められていなかった横浜に観測所を建てることを許可しました。

特例中の特例の扱いに、メキシコの観測隊も感動。
代わりに、日本人実習生をこの観測に受け入れることを申し出ました。
スペイン語どころか、英語すらろくに話せない日本人実習生を、です。
日本もこれにはいたく感動し、快諾。日本人実習生4人が、先進の天文学に触れることになりました。

その後、観測隊の一員であったフランシスコ・ディアスは「日本旅行記」という本を書きました。
「日本国民よ、日本を訪れる外国人との交流が日本の将来に影響ありとするなら、今後の祖国繁栄を願って、外国人の意見を大いに摂取するがよい。われわれも絶大な協力を提供しよう。われわれは日本民族が幸福になる価値が十分にあると信じている。日本人は品位があり、紳士的で勤勉で、勇敢にしてかつ法に恭順な民族だからである。私の祖国が将来日本と友好関係を結ぶことを、そしてまた将来日本と同じ位多くの友を得ることを祈念している」

そして、1888年。 欧米列強との不平等条約に頭を悩ませていた日本と、東洋と国交を開きたいメキシコとの間で「日墨修好通商条約」が結ばれました。
完全な平等条約、アジアを除けば日本にとって初めての平等条約です。
メキシコは、かつての観測における友好を忘れておらず、数ある東洋の国から、対等なパートナーとして、まったくの後進国であった日本を選んでくれたのです。

メキシコの駐日大使館は、現在も当時と変わらず東京のど真ん中、永田町にあります。
こんな一等地に、一戸建てのキレイな大使館を構えているのはメキシコだけ。
平等条約締結のお礼として、明治政府がこの土地を提供したからです。
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