命題とは何か

この前数学の授業で、命題の復習をやったんだけど先生が「命題とは何か」を説明してくれた。

先生「命題っていうのは、○か×かではっきりと表せる事象のことを言います」

で、お調子者で騒がしいM君のほうを見やり

先生「たとえば、“Mは男である”っていうのは誰が見ても一目瞭然だからこれは命題と言えるな。
でも“Mは背が高い”だと、人によって基準が違う。
女子からすれば高いかもしれないけど、バレーの選手からしたらたいしたこと無いかもしれない。
だからこれは命題とは言わないんだな」

ふむふむ、と頷く生徒たち。先生は続ける。

先生「同じようにだ。“Mは格好いい”も命題ではないな。かっこいいと思う人もいれば、思わない人もいるだろう」

この時点でクスクス笑いが漏れてたんだが、先生がとどめで一言。

先生「まあ、格好悪いと思う人のほうが多いだろうけどな」

クラス中大爆笑。普段おとなしい女子まで肩プルプルしてたww
M君も「ちょww先生ひっでwww」って笑ってるし。
M君がそういうキャラだからこそ、先生もああ言ったんだろうな。
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金はどこだ

ろうあ者の会計士が上客のマフィアから500万ドルをくすねた。
それに気付いたボスは、手話のできる手下を伴って会計士のもとを訪れた。
「おい、金の在処を聞き出せ」

すると手下は手話で会計士に尋ねた。
だが会計士は「そんな金は知らない」と手話で答えた。
「ボス、この野郎、そんな金は知らないと言ってますぜ」

「なんだと?」 怒ったボスは懐からマグナムを取り出して銃口を会計士のこめかみに当てて言った。「もう一度聞け!」

手下はもう一度手話で尋ねた。すると会計士は
「自宅の納屋の裏に埋めたスーツケースの中だ」と手話で白状した。

「おい、こいつは何て言ってやがる!」
ボスが引き金に掛けた指に力を入れながら訊くと、手下は答えた。

「どうせボスに引き金を引く勇気なんてないだろう、なんてほざいてますぜ」

J・S・バッハの正式名を書きなさい

中3のとき、音楽のテストで
「作曲家J・S・バッハの正式名を書きなさい」という問題で
ヨハン=セバスチャン=バッハという正解がどうしても思い出せずに
「バッハ=バッハッハ=バッハ」とかいて先生に晒されクラスの爆笑を引き起こした新谷、元気か?

息子はファッションチェック魔

来月3歳の息子がファッションチェック魔だ。

私が雑誌を見ていたら「お母さん、こうなりたいの?ブーツ履きたい?
あ、こういう靴も持ってるね。これは何て言うの?ああ、ストラップシューズね。
きらきらのカバンかわいいね。欲しい?」
新しい服を見たら「それいつ買ったの?オレンジできれいね。
あ、このボタンがかわいいー。何だかウサギさんみたいね」
美容院に行ったら「かわいくなったね。髪はしばらないで、下ろして」
パンツを履いたら「スカートの方がかわいいよ。緑の履いて」
グレーのTシャツを着たら「こっちのひらひらのシャツにして」
ペンダントを着けたら「お花のキラキラきれい!でも、ブレスレットはこっちにして」

う・る・さ・いーーーー。

「おかあさんは女の子だからかわいいね。ぼくは男の子だからかっこいいお兄さんだよ。ズボンが似合うお兄さんだよ」
と言っているので、オカマってこともなさそうだが。
基本的には、レゴとトーマスと公園を愛する素朴な男子なのだ。
ああ、余所の花壇やら路傍の花やらチェックしては
「白くてちっちゃいお花、きゃわいいっ」とかも言ってるな。謎。


ミーハー息子、書いてから思い当たるところがあった。
夫が可愛いもの大好きなんだった。
長じてああいう男になるなら、それもまたよしか。

みんなのアイドル伊達政宗のお話

三代将軍家光公。彼は祖父家康に似て、鷹狩りが大好きであった。
それはいいのだが、鷹狩りの際いちいち江戸城に戻るのは面倒くさいと、狩場の近くの民家に下宿をとって、そこで寝起きしていた。
幕閣は

「このような場所では警護も充分ではなく、不心得者による暗殺すらおこりかねません!どうかご自重を!」

と、諫言するのだが、家光は聞く耳を持たなかった。

さて、その下宿に政宗が訪ねてきた。しばらく狩りの話をしていたが、やがて家光は
「家臣どもはこう言う場所では、暗殺の心配があるなどと言って余に五月蝿く言ってくるのだ」と、愚痴を言い始めた。それを聞いた政宗、

「それは心配するでしょう。私も何度、鷹狩りの際の家康公の命を狙った事か。」

それ以降家光は鷹狩りの際、下宿を使う事をやめたとか。

交換ノート

大学1年の時家庭教師先として知り合ったのが当時小学5年の嫁、理系であったため算数しか教えはしなかったのだが、国語力向上のため小説を読ませその読書感想文をノートに書かせ、それにコメントを書き入れる事をしていた。一種の交換日誌である。
私立女子校に受かったので家庭教師は辞めたのだが嫁が中二の時、このノート交換のみ嫁からの強い希望で復活(といっても月一もなかった)。
嫁が高一の時、私の当時の彼女に男が出来て別れたそれを機に嫁と付き合う事になり、ノート交換は毎週になった(その頃から、嫁は日常の事を書き込むようになった)
嫁が短大卒業と同時に結婚して読書感想文を中心とした嫁の日記にコメントを入れている。

で、先日小3の娘の友達の両親が離婚した。かなりショックだったようで、
「うちは離婚することないよねぇ?」と妻に聞いたらしい。
そして妻の答えは「ずっと交換ノートしてるから大丈夫」だったようだ。
「お母さんは絶対見せないと言ってるけれど本当ならお父さん見せてよ」と娘、ノートつけている所見たことないから不安なんだろう。
娘よ、悪いな電子化してもう10年になるんだよ。
それに君には刺激が強すぎだからね、、、。

妹(5歳)が可愛くて仕方ない

妹(5歳)が可愛くて仕方ない。
「あれっ?○○ちゃん尻尾が生えてるよ?」と言うと
Σ(゚Д゚)って顔してお尻を押さえて尻尾を見ようとグルグル回るw
同じ様に「うさぎみたいな耳が生えてきた」と言うと
Σ(゚Д゚)って顔して頭を押さえて一生懸命頭を見ようと頑張ってた。

喧嘩両成敗

小5の時、同級生(女)と喧嘩して(その子が落とした鉛筆削り踏んで壊した)
「喧嘩両成敗」と向こうが言った。
向こうのグループが、髪を切って詫びろというので次の日、十字逆モヒカンという髪型にして学校に行った。

大笑いするクラスメイト達の目の前で電動バリカンを女子に渡して
「同じ髪型にしてこい」(実際にさせるつもりはなかったけど)
と言ったら他の男たちものって大騒ぎになった。
「喧嘩両成敗」の大合唱が始まってそのグループの女子は全員泣き出した。

自宅に連絡が入って親父に死ぬほど殴られた。

悪魔のくじ引き

1838年、エドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』という小説が出版されました。
この物語のあらすじを簡単に説明しますと、船が沈没し、4人の男性(乗務員1名+乗客3名)が大海をボートで漂流することになります。

飢えと渇きの極限状態の中で、リチャード・パーカーという1人の男性が、4人の中で誰か1人が、他の3人の食糧になるという悪魔のくじ引きをしようと提案したのです。
結果、食糧になったのは言い出した本人だった…という『世にも奇妙な物語』もネタに出来ないよーなカニバリズムなストーリーです。

そして小説の出版から46年後、ポーの小説と全く同じような惨劇が起きてしもーたのです。
1884年10月28日、イギリスで4人の男性(乗務員1名+乗客3名)が海難事故に遭い漂流。惨劇が起こった経緯はあまりにも小説と酷似していたのです。
水も食料も底をつき、1人の男性の提案により、くじ引きで負けた人間が食料として自らを提供するという事になりました。

そして、お約束通りに提案した本人が負けて犠牲となってしまいました。
食べられてしまった男の名前は、なんと小説と全く同じ、リチャード・パーカーだったのです。救出され生き残った3人は、小説はおろかポーの名前すら知らなかったそうです。

振りかえりもせず

この前金髪・鼻ピのお兄ちゃんに親切にしてもらった。

渋谷駅でベビーカーで東横線改札に出るには、東急デパートのエレベーターを使うのが便利なのですがその日に限ってなんだかエレベータを間違え、いつもとは違う階段しかないところに来てしまった。
もはやデパートに戻る気力はなし。

荷物を持ち、寝てる子を積んだままのベビーカーをかつぎ、階段を昇りはじめた瞬間、肩をたたかれた。
「へ?」と思った瞬間、金髪のお兄ちゃんがサッとベビーカーをかっさらい、あっという間に階段の上へ。
私がボーゼンとしてる間にお兄ちゃんはさっさと行ってしまった。

気を取りなおしてお兄ちゃんの後ろ姿に「どうもありがとう!」と叫んだら、お兄ちゃんは振りかえりもせずに手をヒラヒラ。
おかげさまであきらめてた特急電車に乗れ、思ったよりずっと早く帰宅できました。

あのときのお兄ちゃん、どうもありがとうね。

隼さん

ZRX400、エンジン半分死んでて吹かしてないとストールする状況で信号待ち。
隣に並んだ隼さんの怒りを買ったみたいでシグナルを仕掛けられた。
大きな道路の真ん中の車線だったのでエンストするわけにも行かず、相手のコールに答えるみたいに吹かし続けなければいけなかった。
信号が青になった途端、隼さんは怒りすぎてクラッチミスをしエンストしてた。
俺は死んでるエンジン特有の下痢みたいな音を出しながら、7000回転時速20kmと言う驚異的な速さで隼さんを置き去りにした。

NHKが来るのを待ち伏せる

部屋を真っ暗にしてNHKが来るのを待ち伏せる

NHKが来たら真っ黒なローブに身を包んで出る

テレビ無いと言う、そんなはずはないです、見てみるかい?

中に入った瞬間物凄い勢いで鍵閉めてチェーンかける

当然真っ暗なので何も見えないから廊下と部屋にちりばめといた蝋燭にゆっくりと火を点けて回る

部屋に行くと中心にあらかじめ置いといた謎の文字が描きまくってあるマネキンが見える

突然「悪魔を信じますか?降りてくるんですよね、もうすぐ…」と意味不明な事をのたまわる

NHKは「すいませんまた来ます」と出て行く

NHKが隣にピンポン

協力してた隣の人も真っ黒なローブで出迎え

NHKは退散

コーポ黒魔術という噂広まる

NHKは来るもののテレビ無いと言うと直ぐ帰るようになった

めでたしめでたし

私の天井裏

先日、母の遺品を整理していたら、メモや広告の裏に、おもちゃや漫画の題名等が書かれた紙が数枚出てきた。
どうやら小さい頃に私が書いたものらしい。 だが、思い出せない。
するとその中に、「おかあさんのびょうきがよくなりますように。」と書かれた折鶴が出てきた。
「あっ!」 私の記憶がいっきに駆け戻る。

昔の私は遠慮がちの子供だった。
体の弱い妹の看病に付きっきりだった両親に、気を使っていたのかもしれない。
欲しい物があっても、口に出す事はなかった。 そんな気がしていた。
そんな私はいつの頃か、願い事を押入れ上の天井裏に忍ばせるようになったのだ。
私の部屋の押入れから上がれる天井裏は、秘密の場所だった。
よく宝物を隠したものだ。
この願い事を書いた紙切れも、いつか叶うのではないかと隠しておいたものだ。
いや、思い起こせばその願いのほとんどは叶っていたのではないか?

そうだ、事の始まりはこの折鶴だ。
幼い頃、母が一度だけ入院した事があった。
その時私が折鶴に願いを託し、天井裏に置いたのだ。 間もなく母は退院した。
偶然なのだろう。 でも私にはドラえもんのポッケのような空間だった。
誕生日やクリスマス前に願い事を天井裏に置いておくと、プレゼントは希望のものだった。
今考えるとカラクリは単純だ、赤面モノである。
両親からの愛情が決して不平等ではなかったのだと、改めて感謝する。

ふと、あの天井裏が懐かしくなった。 30年ぶりだろうか、懐中電灯を片手に昇ってみた。
もう、そこには何も無い、深い埃だけが時の経過を教えてくれた。
しばらく思いに耽り、降りようとしたとき、それは視界に入った。
やや新しいお菓子の空き箱が梁の上に置いてある。
私はそれを手に取り下に降りた。
蓋を開けると、十数羽の折鶴が収められていた。 そこには、
「○○(私)の怪我が早く良くなりますように。」
「○○が希望大学に無事合格出来ますように。」
「○○の希望通りの仕事に就けますように。」
「○美(妹)の手術が無事済みますように。 助けて下さい。」
「○美の赤ちゃんが無事生まれますように。」

母の願いは全て叶ったようだ。

贈る言葉

小学校の時に送る側の5年と送られる側の6年がカセットテープにメッセージを吹き込んで交換するっていう恥ずかしい行事があったんだが、
俺は「どこの誰に渡るかわかんないこんなもん適当に吹き込んでやれ」と思い
「卒業おめでとう!!!今からドラゴンボールを朗読します!!」
と当時流行ってたドラゴンボールを1話分感情込めて朗読した。
それが渡った相手が6年生の放送部員で昼の放送で流された。
俺の名前とクラスは出なかったものの校内に響き渡る
「絶対に許さんぞこの虫ケラども!!!」と感情こもった俺のフリーザを意識したオカマ声。
クラス中爆笑。笑ってないと不自然なので俺も「あははは」て笑ってたけど、恥ずかしいの以外に自分の声の気持ち悪さに「あぁ~」ってなった。

唯一の記憶

前置きとして覚えておいて欲しい。
俺はガキの頃の記憶がひとつしか無い。

先日友達とガキの頃の思い出について話を聞くと大概はある程度あるらしい。
記憶喪失?、とか思ってよくある本の主人公みたいで少しワクワクした。
同時に自分の幼少期について興味が湧いたので今日帰宅した後、何かアルバムでも無いかと探してみた。
案の定ホームビデオ的なモノが見付かったので早速見てみた。

そこには呆けた顔でテレビを見ている一人のガキが映っていた。
名前を呼ばれて返事をした所を見るとどうやらコイツは俺で間違いないらしい。
しばらく見ていると段々に飽きてきた。

もう良いかな。

そう思った瞬間にサブリミナルの様に屋内の家庭風景から一変して、屋外で撮影されたと思われる【燃え盛る家】が映されていた。

ここで前置きに戻るが、その唯一の記憶というのは、台所?かどこかの広い部屋で自分がマッチに火をつけて遊んでいた光景だ。

また、話は変わるが、俺の祖父が逝去したのは1990年の事らしい。
これは祖母に聞いた話だ。奇しくも燃え盛る家の画面下に表示されていた年号は1990年。

祖父の死との関連性が無いとは一概に言い切れないし、かと言って誰かに死亡原因を聞くのも恐ろしい。

以前住んでいたらしいその焼け落ちた家は今は無く、現在の住居と幾分も離れていない所で売地となっている。

おじさんと犬

子供の頃の話。
夜、母の運転する車で帰宅途中、飛び出してきた犬を勢い良く轢いてしまった。
すぐ降りて犬を見たが、もう虫の息・・。
飼い主のおじさんがすぐに駆け寄って来るなり、
「申し訳ない。車に傷をつけてしまった。ぼく、わたし(弟と私)びっくりしたろ?ごめんなぁ。」と母に対して頭を下げ始めた。
確かに、犬を放し飼いにして散歩していた飼い主の不注意。
でも大切なワンちゃんを死なせてしまったのはこっちだし、車は何ともなっていない。謝られるのは恐縮する。
母は頭を下げ続けるおじさんをなだめ、母もひたすら頭を下げる。

「僕たち、犬は大丈夫だからよ!すぐに元気になるからな!」
・・もう手遅れだというのは子供ながらにもすぐに分かった。

おじさんは大きな犬を背中に背負うと、
「さあ、○○(犬の名前)ウチに帰って手当てしよう。包帯グルグルにしちゃうぞ。ハハ!」
とやけに明るい表情で元来た道を帰っていった。
でもおじさんの背中が小刻みに震えているんだよね。
母と弟3人でおじさんと犬を祈るような気持ちで見送った。

数日後、おじさんは車の修理代を払わせてほしいと連絡をくれたそうだ。
母から、修理代は丁重にお断りしたが、犬は奇跡的に一命をとりとめたと聞き、私と弟は心底嬉しかったのを覚えている。
そしていつしかその話も忘れ去られていた。

そして私も成人して、母とふとその話をする機会があった。
そこで知った事実ーー。
実はあの犬は、ほぼ即死で家に着くと同時に息を引き取ったそうだ。
でもおじさんは電話口で「子供さんには「助かってピンピンしてる」と伝えて下さい。あんな所を見ちゃ辛ぇだろうから。」と言ったと。
自分も辛いのに、子供の前で一切そぶりを見せなかったおじさんの心遣いに頭が下がる。

毎日旨いメシをありがとう

ノートに毎日真剣な顔をして何か書いている嫁。
日記かと思っていたが、「明日はどうしようかな~」と悩みながら書いているのでそれ何?と聞いたらテレながら見せてくれた。
毎日の夕飯と弁当の中身のメモだった。
「書いておかないと、似たようなおかずになっちゃうから…。
お仕事がんばってくれているから○○(俺)には美味しいものを食べてもらいたいの」
よく見ると「◎」「△」の印が。俺が美味しいと言ったら◎だってさ。
「○○がまた作ってと言った♪嬉しい♪」
「下味が薄かった?次はもう少し漬け込む時間を長く。」
なんて細かいメモまでしてある。
続けて同じおかずが出たことが無い、毎日バラエティに富んでいるメシの秘訣はこれだったか。

「書きなぐりだから字がきたないの」と照れてる嫁。そっちかよw
そんな嫁を心底かわいいと思った。
毎日旨いメシをありがとう。美味しい弁当ありがとう。

伝説の理科教師

中学の理科教師がやってくれたこと。

4月1日。言わずもがな、『あの日』。
うちの中学はちょうど教科書配布をやっていて、百人余りの保護者が学校に来ていた。
そんな中、校舎に一本の放送が流れる。

「えー、保護者の皆様にご連絡致します。理科の実力練成ワークが今しがた届きましたので、急遽本日販売いたします。場所は、多目的室です、繰り返します…………」

その時間はほとんどの親が教科書の受け取りを済ませていたので、ものすごい数の人間が狭い多目的室に押し寄せた。
しかし、多目的室にはワークは無い。
代わりに、「ご迷惑をお掛けしますが、販売場所は視聴覚室に変更です」の文字が、黒板にでかでかと書かれている。
保護者達はのきなみ引き返し、さらに狭い視聴覚室へと向かう。
視聴覚室周辺は親達が押し合いへし合いし、既に軽いパニック状態だ。
しかしここでも彼は保護者達を裏切る。
視聴覚室の黒板に書かれていたのは、またしても「販売場所変更」の文字。
次の場所は理科実験室だ。

さすがにここで何人かの賢い親は気がつき帰ったのだが、うちの親とその他大勢のアホな親達はまんまと釣られて理科実験室へ。
もう予測はつくだろうと思うが、もちろん理科ワークは理科実験室の何処にもない。
その代わり、実験用の長机の上には、パーティ開きにしたたくさんのスナック菓子と、ペットボトルのお茶と紙コップ。黒板には、汚い殴り書きでこんなメッセージが書かれていた。

「エイプリルフ──────ルッ!!!!!!!!保護者の皆様、お疲れ様でした(笑)
ワークなんて本当はありません、ごめんなさい。代わりに、少しですがお菓子を置いておきます。許して ちょv(←「ちょv」の字は小さく)

……改めて、ご入学、おめでとうございました。娘さん、息子さん達は、私がしっかり教えます」

後輩に聞くと、これは今も伝説化されて語り継がれているらしい。

ちなみにその理科教師は、「歌いたいから」という理由だけで音楽会のクラス合唱に学ランで紛れ込んだり(見た目オッサンだからもうバレバレ、すぐにつまみ出された)、キョロちゃんのストラップを集めてたり(女子生徒の持ってるレアなラメキョロを心の底から羨ましがってた)する本当に子供みたいな教師だった。

転勤しちゃったけど、元気かな。
風の噂でどこかの教頭をやっていると聞いた。

お年寄りグループの東京音頭

昨日、地元の盆踊り大会があった。
8時になって、だんだん盛り上がってきて年配女性のアナウンスで
「それではこれから、コトブキ会(地元の70才以上のお年寄りのグループ)による東京音頭です!
みなさん1ヶ月前から地元小学校の体育館で月曜と木曜の夜集まってこの日のために一生懸命練習されてきました。
コトブキ会のみなさん集まって輪になられましたでしょうか?
では、コトブキ会による東京音頭です!」

と言うと、お揃いの浴衣を着て、先にフサのついた棒を両手に持ったお年寄りたちが、やぐらを中心に輪になって準備してた。
周りにいた人も地元のお年寄りの踊りを見るためにワクテカして待っていると

♪チャッチャカチャッチャッ スッチャッスッチャッ ジャンジャンジャンジャン

って、異常にテンポの速い東京音頭が流れだした!!;`;:゙;`(;゚;ж;゚; )ブッ
曲をかける人が、レコードの回転数を間違えたらしい。
周りにいる人ポカーン・・・
コトブキ会の人、練習の時とまったく違うんで手に持った棒を持ってアタフタ。
やぐらの上で太鼓叩く2人の人も顔を見合わせながらも曲が流れているため超高速で太鼓を叩く叩く!w
だからコトブキ会の人も「これは踊らなければ」と思ったのか1人、また1人と高速なリズムにとまどいながらも踊りだしたwww
曲は1分足らずで終了~
アナウンサーも訂正せず、曲が終わるとそのまま
「コトブキ会の方の東京音頭でした、ありがとうございましたー!」
えぇっ!www
もっとお年寄りに優しくしろよ。

最後の修学旅行

高校最後の修学旅行の班決めの日、中2病の俺は一人余ってしまった。
その日遅刻してきたアキバ系Yと学校をサボったと思われる不良Tと班を組むことになってしまった。

当日、行きのバスでは終始無言だった。
宿に着き、夕飯までの自由時間に三人部屋の隅っこでMDを聞いていた俺とT。Yはノーパソでゲームをしていた。
しばらくしてYのやっているゲームがドラクエⅢであることに気が付き俺がYに初めて話しかけた。ドラクエトークをしているとTも入ってきて夕食の時間まで懐かしいゲームの話で盛り上がった。

打ち解けて消灯までの時間もゲーム以外の話をしたり売店で買ってきたトランプを
したりもした。楽しかった。消灯し、しばらく色んな話をしていたがTがタバコが切れたから買ってきたいと言い出した。少し戸惑ったが俺とYはタバコを買いに行くのに付いて行った。

11時までじゃないとタバコの自動販売機が終わってしまうらしく山道を3人で駆け下りてなんとか自動販売機にたどり着いた。
自動販売機を見つけたときは俺もYも少しはしゃいでしまった。
あの日の夜中の山道は俺の唯一の青春。

次の日からスウェットのTとアキバスタイルのYとジャケットからシャツの襟を無駄に出した俺という異様な組み合わせで一緒に長崎を観光した。
ゲーセンに寄ってYのゲームに付き合ったり、Tが調子に乗ってナンパして一人も引っかからないのを笑って見てたり、地元のヤンキーに絡まれたりしたがTがボコボコにして必死に逃げたり…そんな漫画が読みたい。

「…さんをつけろよデコ助野郎」

隣のチームの昔からいるリーダー(仮名:マイク 米人)と新しく来日したプロジェクトの担当(米人)は気が合わないらしい。
意見交換的な事でも全然会話が進まない。

で、ある日新米人が
「へい、マイク 今度のプロジェクト会議は俺がプレゼンやるんだけど」
(英語で)みたいに話しかけたら
「…さんをつけろよデコ助野郎」ってめっちゃ流暢な日本語で言った。

その後で
「ああ、すまない混乱してたみたいだな、日本語がでてしまった」
とか返してた。
AKIRAっていう80年代の漫画の有名なセリフ。
正しい使い方過ぎて和んだ。

病院は嫌いなんだよっ!

先日病院の待合室で聞いた老夫婦の会話。

婆「もう…こんなになるまで病院行かないなんて。」
爺「病院は嫌いなんだよっ!」
婆「早く来てればこんな風にはならなかったでしょう…本当頑固な人なんだから。」
爺「病院が嫌いなだけだっ!」
婆「(少し笑いながら)頑固も病気と一緒に先生に治してもらいましょうね。」
爺「う…うるさい!」

見た目も強面頑固ジジイだったけど、その後「先生怖いか?怒られるか?」と婆さんに聞きまくってた爺さんに萌えた。

言い逃れができないか?

批准書に、丁尸尸と漢字の筆文字で書いとけば、後々日本がまずい立場に追い込まれたとき
「TPPと思っていなかった」と言い逃れができないか? 
アメリカ人も「OK!」と許してくれそう。

どんな理由で首になった?

痴漢
必死で冤罪を訴えたけど目撃者多すぎて駄目だったわ

「タバコをどうぞ」

20年ほど前、僕が中学生の話です。
英語のテストの「タバコをどうぞ」という英文で僕の友人のF君は「Speak Lark」と書いて提出したところ、返って来た答案用紙には大きな×とともに赤い字で

「タバコはラークでなくて、マイルドセブンだ」

と書かれていました。

臨界事故

原子炉停止機能強化工事。
その性能検証試験中に、事故は発生した。

原子炉の上ぶたを全開放。
制御棒89本全てを原子炉の下部から挿入、全出力を停止、、、、させたはずだった。

作業員は試験手順書に従い試験を行っていた。
しかしその手順書には誤記があり、本来なら開いておくべき弁を閉じてしまっていた為漏水により逃げ場を失った水圧が制御棒3本に集中した。
そして、とうとう3本の制御棒が脱落してしまった。
脱落した直後から中性子の量が増加。異常発生の警報が鳴り響いた。
これは、核反応を停止させている筈の原子炉内で、核反応が発生し出したことを意味した。つまり臨界である。

最悪の事態を避けるため、ついに原子炉緊急停止装置を作動させる事を決断。しかし試験開始前の事前設定で、緊急停止装置は作動しないよう設定されてしまっていたのである。
遠隔操作による原子炉制御手段は全て失われた。
もはや事態を収拾させる手段は一つだけであった。
作業員の手作業による弁の開け閉めである。
数名の作業員たちが緊急招集された。
弁の開け閉めをする為に、果敢にも炉心へ向かう彼等の運命や如何に。

時、1999年6月18日午前2時すぎ  石川県北陸電力 志賀原子力発電所 1号機内




※この話は現実にあった話である。 外部への放射能漏れはなく、臨界していた時間は15分間だったとされている。

「ニャァ」

皆さんこたつに入って寝てしまったことはありませんか?
自分はよくあります。まあ、それに関係した話です。

その時は確か冬。こたつの中で寝てしまった自分を、家族はそのままにして各々寝床についていました。
疲れて寝てしまったとはいえ、半端な時間に寝れば起きるのも半端になります。
起きたのは夜の1時過ぎ……だったと思います。暗くて時計は良く見えませんでしたから。
参ったな、宿題やってないや……と思って布団をめくり起き上がる前に、何か異変を感じました。

「ニャァ」という、猫の鳴き声が、していたのです。

自分は少し訝しみましたが、猫がさかっているのと思い、暗い外に目だけを向けました。
薄暗闇に何か大きな影が見えました。それはじっと、こちらを向いてます。
そしてその影から断続的に「ニャァ」という声が聞こえるのです。
……
…………
カーテンの開いたガラス戸から覗くその男は、影になって表情が見えませんでした。
そう、それは間違いなく人型の人間でした。発する声を覗けば、ですが。

ニャァ、ニャァ、ニャァ……

声は何かを訴えるような抑揚もなく、ただ一定に『鳴いて』いるだけでした。
向こうは灯火と月の光で明るく、こちらは暗い室内。
こちらからそいつが良く見えても、向こうはガラスが鏡のようになって仔細に中を覗うことは難しいはずです。
気付くことが無いはず。それでも……恐い。身動きがとれませんでした。

しかし十分、二十分経ってもそれは変わらずにそこに居続けました。
障害者だとしても執拗で、変質者としては静か過ぎる。ただ鳴くだけ、それだけです。
ニャァ、ニャァ、ニャァ……
気味の悪いけれど単調な声であるせいか、身動きがとれない自分は思考がどんどん鈍化し……つまり眠くなってしまいました。
今思えば変な話です。つい先程寝たばかりで、それに緊張しきっている自分がこうも簡単に寝入ってしまうなんて……。
でも、そのままプツンと意識は途切れ、自分はそいつを見失いました。

翌日。朝起きればその場所には何も無く、家族に質問しても誰も気付いてはいませんでした。
庭の芝に特に異変はなく、雨も降っていなかったので足跡の類も見つかりません。
……親に夢を見ていたのだと諭され、渋々自分も頷いたのを覚えています。
ひょっとすると本当に、唯の夢だったのかもしれません。気味の悪い、唯の悪夢。

でも、今も思い出してしまいます、あの声を、あの鳴き声を。

猫のさかる声は、今も苦手です。

ごろごろごろごろ

もう40年位は前の話。
金属加工の会社に勤務していた父が朝出社すると、同僚が慌てた様子で駆け寄って来た。
どうかしたのかと父が聞くと、作業場で死人が出たと言う。
何でも、大きい金属板を切断・加工する機械に頭を突っ込み、金属板の代わりに首を切られたらしい。

既に警察が到着していたので父が作業場を見る事は出来なかったそうだが、同僚によると首無し死体が仕事を続けているかのように両手を機械に当てた状態で突っ立ち、飛ばされた首は加工部の旋盤上に乗って作業で出た金属の粉で真っ白になりながらごろごろごろごろ回り続けている。

床は血の海。機械の表面も血塗れで、真っ赤に染まった機械はそれでも動きを止めていなかった。
第一発見者の社長は余りの惨状に卒倒。お陰で通報が遅れたそうだ。無理もない。
しかし、もっと怖いのは、その機械が前にも一人の首を飛ばしていた事。
事故後本来なら処分しなければならないのを前の所有者が欲を出してこっそり転売していたのだ。

警察の捜査でこれが分かり、改めて機械は溶鉱炉に放り込まれ、ようやく処分されてめでたしめでたし…とは到底言えない話だが、持ち主をよそに真っ白になった首を乗せて動き続ける機械を想像したらかなり怖い物が有る。

追いかけられる

幽霊では無いけどかなり恐怖な話。
俺は中学生でよく友達と遊んでいる。それである日、駄菓子屋で菓子を買おうとなった。
みんな(4人)で駄菓子を選んで買って、店の前で食べていた。
真ん前に公園があり、そこで一人の薄汚い髪の長い女がブランコに乗っていた。
そこの公園は団地の間にある公園だった。友達と俺はキモイとか小さい声で話し合っていた。どうやらその会話が耳に入ったらしく、物凄い形相でこちらを睨み、団地の中に入っていった。
夕暮れ友達と別れる事になり、俺は薄暗い夕暮れの長ーい道を自転車で走っていった。正直言うと、あの女の事が頭から離れない。イソイソと走っていると
「ギャーーーーーーーー」と響くような声で誰かが後ろから来る。この世の物とは思えない恐怖とビックリが俺を襲い、自転車のこぐスピードを速めた。
後ろを見ると案の定、あの女だった。なんとか逃げきろうとした。

家に入ろうとしたら、ドアを開けてる間に捕まると思い、関係ない道をどんどん進む。
女は俺を見失った見たいで、元の道をイソイソと戻り家の中にすぐに入った。
俺の家族は二世帯で一階ばあちゃんじいちゃんが住んでおり、二階には父、母、姉と俺の四人暮らしだ。バタン!とドアを強く閉めたのでばあちゃんがビックリして玄関にきて「どうしたの?」と俺に尋ねた。俺は変な奴に追いかけられた、と説明していた時に!ドンドン!!とドアを強く叩く音がする。覗き穴を見たら、女が包丁を持ってフーフー言って佇んでいる。すぐに警察に連絡し女は逮捕されて行った。

あとで調べるとその女は学校で包丁投げ女として有名な女だった。
さらに子猫を虐待したり、公園で遊んでいる子供を頭ごなしに怒鳴りつけたと言う。
どうやら脅迫罪、殺人未遂、暴行罪などで捕まったらしい。
その後まだ刑務所から出てきてあの団地にいると言う。

デーモン・コア

アメリカのロスアラモス研究所で各種の実験に使われ、後に原子爆弾に組み込まれてクロスロード作戦に使用された約14ポンド(6.2kg)の未臨界量のプルトニウムの塊。不注意な取り扱いのために1945年と1946年にそれぞれ臨界状態に達してしまう事故を起こし、二人の科学者の命を奪ったことから「デーモン・コア(悪魔のコア)」のあだ名がつけられた。

最初の臨界事故
1945年8月21日、ロスアラモス研究所で働いていた物理学者のハリー・ダリアン(英語版)は、後にデーモン・コアと呼ばれるプルトニウムの塊を用いて中性子反射体の働きを見る実験を行っていた。プルトニウムの塊の周囲に中性子反射体である炭化タングステンのブロックを積み重ねることで徐々に臨界に近づける、という要旨の実験であった。

ブロックをコアに近づけ過ぎると即座に臨界状態に達して核分裂が始まり、大量の中性子線が放たれるため危険である。しかしダリアンは手が滑り、ブロックを誤ってプルトニウムの塊の上に落下させてしまった。プルトニウムの塊は即座に核分裂を起こし、そこから放たれた中性子線はダリアンを直撃した。

ダリアンはあわててブロックをプルトニウムの塊の上からどかせたものの、彼はすでに致死量の放射線(推定5.1シーベルト)を浴びていた。ダリアンは25日後に急性放射線障害のために死亡した。

第二の臨界事故
1946年5月21日、カナダ出身の物理学者ルイス・スローティンと同僚らはロスアラモス研究所にて、未臨界の核分裂性物質に中性子反射体をどの程度近づければ臨界状態に達するか、の正確な距離を調べる実験を行っていた。今回使われた中性子反射体はベリリウム、臨界前の核分裂性物質として使われたのは前年ダリアンの命を奪ったデーモン・コアである。

スローティンらは球体状にしたベリリウムを分割して二つの半球状にしたものを用意し、その中央にデーモン・コアを組み込んだ。そして、ベリリウムの半球の上半分と下半分との間にマイナスドライバーを挟み込み、手に持ったマイナスドライバーをぐらぐらさせて上半分の半球をコアに近づけたり離したりしながらシンチレーション検出器で相対的な比放射能を測る、という実験を行った。

挟みこんだドライバーが外れて二つの半球を完全にくっつけてしまうと、デーモン・コアは即座に臨界に達し、大量の中性子線が放たれるため危険である。この実験は、たった一つの小さなミスも許されない危険性からロスアラモス研究所のスタッフの中でも人望高い研究者リチャード・ファインマンが「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」("tickling the dragon's tail")と批判し、他のほとんどの研究者は実験への参加を拒否したほど悪名高いものであった。

しかし、功名心の強い若き科学者であったスローティンは皆の先頭に立って何度かこの手の実験に参加しており、ロスアラモスのノーベル賞物理学者エンリコ・フェルミも「そんな調子では年内に死ぬぞ」と忠告していたと言われる。

そしてついにこの日、スローティンの手が滑り、挟みこんだドライバーが外れて二つの半球が完全にくっついてしまった。即座にデーモン・コアから青い光が放たれ、スローティンの体を熱波が貫いた。コアが臨界状態に達して大量の中性子線が放出されたことに気づいたスローティンは、あわてて半球の上半分を叩きのけ連鎖反応をストップさせ他の研究者たちの命を守ろうとした。

彼は文字通り皆の先頭に立って実験を行っていたため、他の研究者たちへの放射線をさえぎる形で大量の放射線をもろに浴びてしまった。彼はわずか1秒の間に致死量(21シーベルト)の中性子線とガンマ線を浴び、放射線障害のために9日後に死亡した。

スローティンの間近にいた同僚のアルバン・グレイブス(英語版)も中性子線の直撃を受けたが、彼はスローティンの肩越しにデーモン・コアを見ていたため、中性子線がいくらかスローティンの体によってさえぎられ、数週間の入院の後に無事退院できた。とはいえその吸収線量は少ないとはいえず、慢性の神経障害と視覚障害の後遺症が残り、放射線障害に生涯苦しみぬいた末に20年後に心臓発作で死亡した。

その他の研究者たちは臨界を起こしたデーモン・コアからの距離が十分離れていたため、幸い身体的な影響は出ずに無事であった。
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