偉人たちの名言

「無能な働き者は害悪である」
(H・V・ゼークト:第一次大戦後のドイツ陸軍中興の祖)
「活動的な馬鹿より恐ろしいものはない」
(ゲーテ:18世紀のドイツ最大の劇作家、小説家、詩人、哲学者、政治家)
「無能な味方よりも有能な敵のほうが役にたつ」
(マキャヴェリ:イタリアルネッサンス期の政治思想家、外交官)
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
(ナポレオン:フランス革命期の政治家、軍人、フランス皇帝)



「政府の中でオレが一番原発のことをよく知っている」
(菅直人:20後半~21世紀初め 民主党党首、反日活動家、プロ市民)
「海水を長いホースで原子炉に汲み上げるべきだ」
(鳩山由紀夫:  同  民主党元党首 脱税犯) 
「ガソリンを学校のプールに貯蔵すればいい」
(安住淳:  同  民主党国会対策委員長 新聞記者)
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DQNネームに一言

恥子(さとこ)…聡子の間違いかと。気持ちは分かる。

秋桜(さくら)…コスモスだよそれじゃ。なぜ秋をつける必要がある?

空海(ぶるう)…そりゃ青いけどな。確かに。比叡山には行くなよ。

綺羅亜(きらあ)…この辺になると微妙ネームというよりは立派なDQNネームに。

聖夜(いぶ)…イブは前夜です。これも男の子の名前。

茄子(かこ)…それは「なす」です。確信犯?

土竜(とりゅう)…「どりゅう」でさえない。穴掘りが好きな男の子になりそう。地下生活者になったりしてね。

翁(おきな)…女の子の名前です。この子に弟ができて媼(おうな)と名づければカンペキ。

二成(ふたなり)…二又一成という声優さんを個人的に「ふたなり」と略しています。ごめんなさい。

殉子(じゅんこ)…乃木大将かと。キリスト教徒かもしれんね。

黄泉(よみ)…女の子。よみ、と音をあてている以上、黄泉=あの世、と親は知っていると思われ。どういう意図があるのだろう。

王子(きんぐ)…それプリンスですからっ!

羽根(ている)…それフェザーですからっ!!

風(すかい)…それ、ウィンドですからっ!!!

宇宙(てら)…地球のみが宇宙と思ってませんかっ!!!

金星(まあず)…役所の人も一声かけてあげればよかったのに

幸せだった頃の母の写真

・雇用機会均等法の世の中で男女平等なんだから女も働け
・家事は全部しろ、女だろ
・育児は全部しろ、母親だろ

こんな要求を母に対してしていた父。
母は言われる通りに四六時中働き、40代になってすぐに癌になって死んだ。
見つかったときにはもう全身に転移が進んでいて、手術も出来ない状態だった。

独身時代の写真を見たら、若々しくて愛嬌のある丸顔で幸せそうな笑顔をしていたのに、私が知っている母は頬が痩せていて濃いクマが出来ていて無表情で、年齢よりずっと老けて見えていた。
小学生の頃、「老けてるから授業参観に来るのが恥ずかしい」なんて考えていた自分が恥ずかしい。
子供は居ないけど既婚女性となった今、母がどれだけ死ぬ思いをして一人で私と弟を育ててくれたか、そればかり考える。

月命日には遺影に手を合わせ、三か月に一回は新幹線の距離の地元に帰って墓の掃除をしている。
生きている頃に何もしてあげられなかったのが、悲しくて悔しい。愚かな娘で本当に申し訳ないと思う。
中学校の修学旅行で観光地の土産を買っていったとき、母が不意に涙を流したことがあった。
独身時代の写真には、女友達と旅行に行っている写真が何枚かあった。もしかすると、母は旅行が好きだったのかもしれない。
しかし結婚してから一度も行けぬまま死んでしまった。私の人生初旅行が修学旅行だったくらいだから…。
今、夫と旅行に行くときは必ず母の写真を持って行っている。

生きている時に連れていけていたら…と思うけど、母が亡くなった時の私は受験生で、金も時間も無かった。
でも、ねぎらいの言葉や、感謝の言葉はいくらでもかけることが出来たのに、と思う。
自分のことばかり考えて、いっぱいいっぱいだった。
子供の素直さを失いながら、大人の思いやりも持っていない、自己中心的でくだらない娘だ。
若い頃の写真も、母が亡くなって初めて見たくらいで、母の人生に何の関心も持たなかった冷たい娘だ。
もっと話を聞きたかった。母は何が好きだったのか。若い頃、どんな思い出があるのか。
何を思ってあんなに働いていたのか。あの頃、私にして欲しいことは何だったのか。
どんな老後を思い描いていたのか。子供の頃、どんな夢を持っていたのか。
結婚して私たちを産んだことを後悔してはいないか。もっと自分の人生を生きたかったんじゃないか。
何も話さなかったことを、後悔するばかり。

スト2の思い出

数年前まで俺がよく行くゲーセンで、毎日のように外人が一人いて、スト2の対戦台で戦っていた。
結構狭くてぎゅうぎゅうの店で外人は目立つ。

彼はダルシムを使い、いつも戦っていた。
中級者だったので勝ったり負けたりだったが、なんだろうな、変に感傷的になっちゃうんだな。
海外から日本に来て場末のゲーセンでスト2をやっている姿は切なかった。

ある日彼に話しかけてみた。どこから来たのか、何歳か、何をやっている人か‥

彼はアメリカ人で米軍の男だった。
このゲーセンは横浜にあるので、横須賀か、厚木の基地だったと思う。

俺も英語が得意なワケじゃないので片言で話していた。外人のワリにガチャプレイじゃなく、普通に技を出すのでゲームの話もおもしろくできた。
何度かそんなやりとりを繰り返していたが、日本を離れるという話を聞いた。
イラクに行くと。

この日が最後になるので、対戦しよう。と、二人で戦った。
俺はリュウで、彼奴はダルシム。

ダルシムのくせに。なんて最初は思ってたけど姑息な技も使わないくせに強かった。
でもギリギリで俺が勝った。

彼はスト2以外はできないので、その日は何度も何度もスト2ばかりをやった。

帰り道に彼と駅まで一緒に歩いた。
次に日本に来るのはいつか。と、訪ねたが、イラク関連のニュースを見ていればだいたい目安はわかるだろう。と言っていた。

別れ際に彼と俺は少し涙目になりながら握手をした。
「ブッシュとフセインもスト2で戦えばもっと平和なのにな」

彼がそういいながら改札口に消えていった姿を見てなんかすごい悲しくなった。イラク戦争が身近に感じた。

俺は今もそこのゲーセンにダルシム使いがやってくるのを待っています。

ハイパー年寄り優遇社会

若いやつらは金なくて当然ってのは一面的にはあってるが、その若いやつらから搾取する年金保険料は毎年のように上がってるし、昔はなかった消費税もあるし、税負担はどんどん上がってる。

その結果どうなるかというと、今の年寄りの生涯収支と、今の若者の生涯収支(平均寿命まで生きたとして)の比較がひどいことになる。

1940年生まれ +4850万円
1960年生まれ -370万円
1980年生まれ -1770万円
2000年生まれ -3260万円
2005年生まれ -3490万円


つまりこういうことなー

ちなみに、書いたデータは
「だまされないための年金・医療・介護入門」って本からの引用な。

色んな経済学者も指摘してることだが、この国の世代間格差は半端ないよ。

ハイパー年寄り優遇社会w生まれただけで馬鹿を見るww

妹との会話

ある土曜日の朝。

妹「おはよー!」

俺「・・・はよ。早いね。いつも休みの日は昼まで寝てる癖に」

妹「お、お昼までなんて寝てないよ! ・・・十時くらいだよ」

俺「はいはい。で、どうしたの? そのバッグ」

妹「ああ、うん。連休だから、久々に○○ちゃんのとこ遊びに行って来る。憶えてるでしょ? ○○ちゃん」

俺「ああ・・・どっか引っ越してった、キミの親友だっけ。何度かウチにも遊びに来てたな」

妹「そうそう! 密かにお兄ちゃんの事気に入ってたんだよ?」

俺「そりゃ初耳」

妹「あはは・・・あたしも子供だったからね。黙ってたんだよ」

俺「何でまた」

妹「う・・・分かんないなら、いいの!」

俺「ふん・・・で、もう行くの?」

妹「うん。もう出るよ」

俺「そ。気をつけて」

妹「うん。おみやげ買って来るからね?」

俺「変な気まわさなくていいから、楽しんでおいで」

妹「・・・ありがと。じゃ、行って来るね」

俺「行ってらっしゃい」

以上、妹との最後の会話。
お帰り、は毎年お盆の時期に言ってます。

娘「なんでジージもバーバも、パパの写真を見て泣くの?」

客先から会社へ戻る途中、昼食のためファミレスに立ち寄った。
いつもなら立ち食いそばなんだが、こう暑いと涼しいところで休みたかった。
幸いにも待ち時間無しで座れた。狭いテーブルに一人。
隣のテーブルに4~5歳くらいの娘とその母が食事を終えて帰り仕度していた。

その時に聞こた会話。
娘「ジージとバーバは、もう帰ったの?」
母「ええ。でもまた来月に遊びに来てくれるって言ってたよ。」
娘「よかった。パパが遊んでくれないからジージに遊んでもらう。」
母「・・・・」

父親が構ってくれないのか、と思ったが、次の言葉が残酷だった。
娘「なんでジージもバーバも、パパの写真を見て泣くの?」
小さい声だった。

母は数秒沈黙したが、「さあ、行きましょう。」と言って娘を急かし、 レジへ向かった。娘も後を追った。

聞こえたのはこれだけだから詳しい背景はわからないが、多分あの娘の父親は他界したのだろう。

自分は、妻が先立って2年。子供はいない。
久しぶりに何か悲しい気持ちになったので、吐き出すつもりで書いてみた。
オチがなくてごめんなさい。あの母娘の将来に幸あれ。

小学生の時縁日で買ったカラーひよこ

小学生の時縁日で買ったカラーひよこ。
皆から次の日に死んじゃうと思われてたけど、すくすく成長して立派な雄鳥に。
団地で飼っていたため迷惑になり田舎のじっちゃの家に引き取ってもらった。
年に数日しか遊びに行けないけど必ず覚えてて自分にしか懐かない様子に周囲もびっくりするくらいだったんだけど。

8年くらい経ったある日、たまたま急にじっちゃの家に1泊する用事があった。
もうよぼよぼで立ち上がることも出来ないほど弱ってたんだけど、自分が見に来たらすり寄ってきた。
帰宅した次の日の早朝、じっちゃから「今朝がた死んでたぞ、最後に会いたくて昨日までがんばってたんだな」
と電話があり号泣した。

脳梗塞になった

5年前に脳梗塞になった。
仕事が忙しく3か月間1日もや休みを取っていなかった。
元旦も出勤し、成人の日に3カ月ぶりの休みを取った、理由は会社で昇進試験がある日だからだ。
その試験は俺は外されていたんだ、その日に脳梗塞で救急車で運ばれたんだ。

自分でいうのもなんだが、若い頃の俺は幹部候補正だったんだ。
主任にも同期では俺1人が特例で昇進出来たし、社内で一目おかれる存在だった。
しかし大失敗をして会社に4000万円の損害を与えた。
それからというもの冷や飯を食う日々が続いていたんだ。
俺は挽回の為必死で働いていた、そして損害額よりも遥かに大きな利益を出しもした。
しかしいつの間にか同期には抜かれ、かつて面倒みた後輩が上司になる始末。
こうなると会社で自分の出世できる目はない、飼い殺し状態になる。
だが他の者より仕事をしている分(サービス残業だけど)出来るわけで、仕事は全部自分に回ってくる。
でも試験を受ける意気揚々な連中の前だし、その日まで出て仕事はしたくなかった。
そんな日に脳梗塞になって左半身が不全になった。

それ以降は会社は労災で訴えられるのがが怖いから、腫物を扱うような感じで俺に接してくる。
部署も移動になって事務処理ばかりだ、大学出てから15年間仕事しかしてない人生だったから生きる意味を無くしてたんだ。

そんな日々が数年過ぎたんだが、しばらくして部署が変わったんだ。
新しい上司は社長の親戚で駄目な男、責任のある部署につけたら出来なくて、ノイローゼになってしまい毎日うつ病の薬を飲んでいる。
だから責任のある部署は任せられない、しかし社長の親戚だから無下に出来ない。
そこでそいつの為に新しく部署を作ってやり、俺が面倒を見ろという事らしい。
毎日うつ病の薬を飲んでる奴が隣の席、しかも彼の承認がないと会社の決済が下りない。
気分の悪い日はその日は全ての案件を承認しない始末。
俺は我慢出来なかった、会社を退職した。

体が健康じゃない男、無職の男、妻は子供2人を連れて出て行った。
少し前になるがバイクは脳梗塞のリハビリを兼ねて買った、最初は原2のスクーター。
そしてその後、当時憧れだった2stレプリカを買った。
つまり最後に残ったのは2000万ローンの残っている家と2stレプリカだけになった。

なにもやる気のおきない日々、金が無いから毎日300gで100円のスパゲティを食べた。
しばらくして前の会社で世話になった下請け会社の社長から連絡があった。
A社で人材を探してるみたいなんですが、○○さんどうですか?
俺はやることも無いし、飯を食う為にA社に面接に行ったんだ。
面接の部長は俺と同じ歳でぜひ一緒に若い社員の教育をしてくれって頼まれた。
年収も前の会社の3割増しで雇ってもらえたんだ。
その部長は20歳の時スパーダに乗っていて、俺も20歳の時スパーダに乗っていた。
不思議と縁があった。

今、世間は高齢化で空洞状態だ。
団塊世代が辞めると中堅がいないから若い社員が入ってきても教える者がいない。
中堅だって若者に弱いところは見せたくないし、愚痴だってこぼせない。
その部長は若い社員から嫌われている、でも改善したいと考えているんだ。
若い社員は部長がバイクに乗ってることすら知らない、でも若い社員だってバイク乗りは結構いた。
俺は歳食ってるけど、新入社員だから若い人も話しやすかったと思う。
俺は今、その部長と若い社員の架け橋をやっている、春になったらみんなでツーリングに行く予定だ。

俺は思うんだ、決していい人生とは言えないけれど、一生懸命やってれば自分で納得出来るとせめて自分自身を嫌いにならない様に生きたい。

1995年1月16日に戻りたい

1995年1月16日に戻りたい。
当時21の私と倫子はその日ちょっとしたことで喧嘩をしてしまった。
明らかに私が悪い理由で。
普段なら隣同士で寝るのにこの日はひとつの部屋で少し離れて寝た。

17日の朝、大きな揺れがあった。あまりに大きな揺れにあわてている間にすごい音と共に屋根などが崩れてきた。
運良く私も倫子も無事だった。しかしお互いを確認するのは声だけだった。
二人の間には大きな瓦礫の壁があった。
私は窓の近い側だったので、隣近所の方が瓦礫を少しどけてくれて、自力で出ることができた。
私は倫子を助けるために近所の方と合わせて4人で瓦礫をどけようと必死だった。
倫子は、「真っ暗で怖いけど、私は大丈夫だから」と叫んでいた。

1時間か2時間か、時計もなく分からなかったが、ある程度作業が進んだ。
これなら助かると思った。
しかしそのとき周りの人が「隣の家から火の手が上がっている」と言った。
隣の家はこちらに傾いていた。
危険だと周りは言った。
皆、ピッチを上げて作業をした。しかしそのとき、隣の家が崩れてきた。
私も周りも、その場から反射的に離れた。そう、見捨ててしまった。
どのくらいその場にいたのか分からない。ずっとその場にへたり込んで座っていた。
「消防はどうして来てくれなかったんだ」「神はどうしてこのようなことをするのか」
「瓦礫をどけはじめたときにもっとうまくやっていれば、助かったんじゃないのか」
「見捨ててしまった・・・・・・・・・」「どうして自分も死ななかったのか」

こんな言葉が頭をずっとめぐっていた。
周りは「しょうがなかったんだ」と言った。気に病むな・・・と、、、。
そんなこと、できるはずがないことは周りも分かっていただろう。
私はその言葉を聞いてから、ずっと泣いていた。
後日、瓦礫の山から倫子の骨だけが見つかった。

たった1.5メートルの距離の差だった。
たった1.5メートルの距離の差が「1番大切な人」を失う距離だった。
16日に喧嘩したことが、素直でなかった私が、
最も失ってはならない「大切な人」を失う結果にしたのだ。

喧嘩をしていなければ、二人とも助かったかもしれない。
そうでなかったとしても、倫子をひとりにすることはなかった。
そして、見捨てることも・・・・。

私は1995年1月16日に戻りたい。そして君と一緒にいたい。

阪神大震災
経験をしていないとっては分からないことだと思う。
しかしそれはしょうがないことだとも思う。
ただ、これから1月17日に阪神大震災の話題が出たときにいまさら・・・、とは言ってほしくない。
そういったことがあったことを知っておいてほしい。

そして今恋愛をしている人に。
あなたは大切な人を手放さないで下さい。
今すぐにでも謝れることなら、すぐに謝ってください。
後から後悔しても、すべて戻ってこないのですから。
プロフィール

ナイア

Author:ナイア
どこかで見たことのある話を載せていきます。

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