俺が本当にボケた時には

父から聞いた本当の話。

祖父が50を過ぎたくらいの頃、ちょっとした物忘れか何かをした時に父が
「おいおい、もうボケちまったのか」と冗談めかして言ったらしい。
すると普段温厚な祖父が突然激怒して父を説教、二度と俺をボケたとか言うなと固く約束させられ、最後に「ただし、あと何十年かして俺が本当にボケた時にはからかうような言い方はせず、静かにそれを伝えてくれ」と言った。

それから20年以上時が流れ、祖父が本当にボケ始めた頃に父は悩んだが決心をして
「親父、言いたくないが親父はもう痴呆が始まってしまっているこの前も~で~な事があった」
と真剣に伝えると、祖父は「そうか…」とだけ言って父を追い返してしまった。
(この時は既に仕事の都合で隣県に別居)

それから2週間ほどして祖父は死体で見つかった。自殺だった。

葬式のときに地元の農協職員から聞いた話では、父が痴呆の事実を伝えた日から保険の詳細や土地の権利関係のことで農協に足繁く通って身辺整理をしており、近所の爺さん婆さん達から聞いた話では普段から祖父は痴呆になって家族に迷惑かけるぐらいなら潔く死んだほうがマシだと言っていたらしい。

詳細は聞いていないけど祖父はそれなりにまとまった財産を遺してくれていたらしいけど、間接的に死に追いやってしまった父の心境を考えると…
それに、痴呆といってもまだほんの初期症状だったから父も「これをキッカケに痴呆が良くなれば」
くらいの気持ちだったんだと思う。



しかし、本当に後味が悪いのは俺自身、父から
「俺が本当にボケたらその時は…」と頼まれていること。
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起きたら赤ちゃんがいない

よく怖い話で「昨日までいた彼女の存在がそっくり消えた」とか「昔の友達に関しての記憶が自分以外ない」とかあるけど、それと同じ現象を、私も体験しました。 
糖質だと思ってくれるなら思って貰って構わないです。 
2年前出産しました。三人目の子なんだけど、二人目を産んだ時に「頚管裂傷」って症状(赤ちゃんの身体で膣が裂ける)に見舞われて、その時も裂けたから、自分は赤ちゃんを確認した後すぐ、手術を受けました。 
頚管裂傷って普通は数ミリから数センチで、指で押さえて止血(膣も粘膜だから鼻血と同じ処置)なんだけど、自分は二人目の時、子宮口から膣口までさくっと裂けて縫ってたから、今回も大事を取って縫って貰ったんです。 

その後一日経ってから赤ちゃんと対面。 
赤ちゃんは久し振り(6年ぶり)だったからすごく嬉しくてかわいくて、めちゃめちゃ可愛がりました。
上の子2人も可愛がってて、すっごい大事にしてました。

そんで生まれて1年近くたった冬に、私はインフルエンザになったんだけど、子ども達にうつるといけないから、ひとり隔離されて三日くらい寝てました。 

起きたら赤ちゃんがいない。 

おかしいなぁ、と思って家族に聞いたら、赤ちゃんなんかいない、って。 
だってインフルエンザになる前までちゃんと一緒に生活してて、みんなも可愛がってたじゃん?熱があるからって医者に行く前、お母に赤ちゃん宜しく、って言ったじゃん? 
って、こっちはパニックなんだけど、熱で変な夢みたんだろーって。 

赤ちゃんを寝かせてたはずのベビーベッドも、押し入れの奥に仕舞ってあるし、赤ちゃんの服とかおむつとかおもちゃとか、一切ない。 
私がおかしくなったのか、熱出してる間になんかあったのか、パニックで家族に何度も赤ちゃんについて聞いたら、だんだん気味悪がられて、そのうちダンナが教えてくれました。

赤ちゃんは生まれた時産声が上がらなくて、調べたら肺に疾患があって、すぐ人工呼吸器つけたけど、自分が手術してもらって麻酔で寝てる間に、亡くなっていました。 
先生や助産師さん、メンタル担当の看護師さんが説明をして、私も納得してたし、お葬式もしただろ、って。 

私は赤ちゃんを抱いてチャイルドシートに乗せたのも覚えてるし、毎日赤ちゃんと楽しく暮らしてた記憶があるんです。 
でも、赤ちゃんが生まれた後のアルバムを見ても、赤ちゃんは写ってないんです。 
赤ちゃんはやっぱり、私と一緒に退院はしてなかったんですね。今思うと。 

だんだん落ち着いてくると、赤ちゃんの葬式のことも思い出したし、赤ちゃんが死んだって聞かされて、悲しくてパニックになった時の気持ちも思い出してきました。 
亡くなった赤ちゃんに対して、自分がその事実を受け入れてなかったことを、申し訳なく思うようになりました。

家族はインフルエンザの熱(40度近くあった)でうなされて、幻覚みたいなものを見たんじゃないか、って言ってくれたけど。 

赤ちゃんが生まれる前に買った育児日記に、赤ちゃんとの毎日が、書いてあるんですよね……。 

体重や身長は書いてないし、三ヶ月検診とか半年検診とかについても、「問題なし」って書いてあります。
それは多分、成長を直にみてないからなんでしょうね。 
だけど家族の知らないところで、自分は赤ちゃんが生きてるんだ、って生活を送ってたんだな……って、自分で自分が怖くなりました。 
確実にあの間、自分は狂ってたと言われても仕方ないし、狂ってたと思います。

落ち着いてから、近所の信頼出来る友達ママに話をしたら、「時々、赤ちゃんの話してた」って言われた。 
赤ちゃんが亡くなったことはその友達も知ってたから、話を合わせてくれてたみたいです。 
「暑いから赤ちゃんの外出を控えてる」とか「赤ちゃんが風邪気味だからお母に預けてきた」とか言いながら、幼稚園のPTAに参加してたんだって。 

てことは、もしかしたら、インフルエンザの熱で幻覚見たんじゃないか、って言ってくれてる家族も、私と「赤ちゃん」の生活に、黙って付き合ってくれてたんじゃないだろうか、と思います。 
確認してないけど……もしそうだとしたら、当時小学校1年と幼稚園だった上の子2人が、どんな気持ちでそんな母親を見てたかとか考えると、申し訳ないやら怖いやらです。

でも今でも、赤ちゃん抱っこしてる感覚とか、赤ちゃんがおっぱい飲んでる感覚とか、あれは現実だったんじゃないか、と思う事もあります。 
まだ狂ってるのかも知れないです。 

書いてみたら怖い話っていう部類じゃなかったですね、長々と失礼しました。

今すぐ捨ててこい!

子供の頃、拾ってきた犬がいて内緒で物置で飼っていたら、親父に見つかって「今すぐ捨ててこい!俺は犬が大嫌いなんだ!」と叱られた。
なんとかカーチャンと頼み込んで1か月、親父しぶしぶ「俺に一切近づけさせるなよ!」と言いながらも許してくれた。犬の名前は見た目で「シロ」
シロは親父に一切なつかなく、親父もいっさいシロに近づかない…そんな生活が15年続いた。

そしてシロが老衰で玄関の中で最期を迎える時、親父は初めてシロの傍に胡坐座りしてぼーっと見つめて
親父「すまんな…」と一言泣きだした。
それを見たのかシロは胡坐の中にピョンと入り込み、そのまま丸くなって4時間ほど親父と共にして亡くなった。

親父、朝までずっと泣いていたな。

(´・ω・`)社畜さしすせそ

(さ)サービス残業
(し)死んだ魚の目
(す)すさみゆくココロ
(せ)迫り来る終電時間
(そ)それ残業代出ませんから

五年後に届いた手紙

嫁が激しい闘病生活の末、若くして亡くなって五年後、こんな手紙が届いた。
どうやら死期が迫ったころ、未来の俺に向けて書いたものみたいだ。
以下全文

Dear 未来の○○
元気ですか?大好きな仕事はうまくいってますか?きっと○○だもん、今ごろ凄い出世してるんだろうなあ。嬉しいぞ。
早速だけど、私はもう長くないみたい。仕事柄、なんとなく自分の体のことはわかるんだあ。薬もだいぶ変わったしね。
だから、○○に最後の手紙を書くことにしました。
もう今頃新しいかわいい奥さんが出来てるかな?笑
いいんだよ、私に遠慮しないで幸せになってよ。○○は誰かを幸せにできる才能を持ってる。その才能を持った責任を負わなきゃいけないんだ。
○○が幸せになるところ、きちんと見守ってるからね。私は大丈夫。向こうでイケメン見つけて恋するもんね!笑
そして○○は沢山子供を作ってステキな家庭を作るの。○○の子供だもん、きっとかわいいんだろうなあ~
私生まれ変われたら○○の子供になっちゃおうかな笑
生まれ変わりの順番待ちがあったら割り込んじゃうもんね!おばさん発想だな。
でもね、一つだけお願いがあります。
どうか私のことを忘れないで。どんなに幸せになっても、一年に何回かでいいから思い出して。
私はもうお父さんもお母さんもいないから、、○○が忘れたらもうこの世界に私はいなくなっちゃう。それだけが怖いんだ。
何回かというのはね、
付き合い始めた日、幕張のレストランに海。
一緒に行った夏の北海道、あの時くれたネックレスはずっと今でもつけてるよ。お棺にいれないでね、○○が持ってて。
○○が初めて試合でレギュラーになった日、関係ないとは思いきや、実は私が初めてお弁当を作った日だったのだ笑 卵焼き辛くて悪かったな
結婚記念日は○○酔いつぶれてたし、いいや笑
そして私の命日。多分○○のことを思いながら幸せに眠るんだろな。
この四つが私の思い出ランキングトップです!だから年四回でいいから思い出してね。お願いね。
○○が思い出してくれるとき、きっと私はその瞬間だけこの世界に生き返れるんだ。
最後までわがままだね笑 ごめんなさい。
未来に向けて書くつもりが、なんかよくわかんなくなっちゃった。だって○○の未来は輝いてて、眩しくて、全然見えませんよ!
さて、レントゲンに呼ばれたのでこれで終わりにします。時間かけて書くと長くなりそうなので、思いつきで書いたこの手紙で一発終了。
○○、今までありがとう。悲しい思いをしてしまったらごめんなさい。
あなたと過ごした私の人生、あなたと作った私の人生。幸せ過ぎてお腹いっぱいです。もう悔いはないよ。
○○の幸せをずっとずっと見守ってます。
未来の○○の笑顔を思いながら
△△より

ps.ご飯はちゃんと食べるんだよ


最後まで注文ばっかだな全く
オレはまだ一人だよ
でも幸せだ この手紙をみて改めて実感した
オレ頑張るから、ずっと見ていてくれよ
ありがとう

武士の母

永禄七年(1564)、徳川家康の三河吉田城攻めで、徳川十六神将の一人としても数えられる、当時26歳の青年、蜂屋半之丞は、本多忠勝と先陣を争い、数多の敵を討つなど大きな活躍を見せた。
が、不運にも流れ弾に当たり、討ち死にした。

半之丞の屋敷では、彼の母が半之丞の帰りを待っていた。
蜂屋家の家来達が戦場より返ってきたので母は急いで門前に走り聞いた

「半之丞はどうなりました!?」

これに家来は沈痛な面持ちで、「討ち死になされました」と、報告をした。

ところが、母はこの家来にキッと顔を向け
「そんなことは知っています!討ち死にまでの首尾はどうだったかを聞いているのです!」

「そ、それでしたら、多くの敵を斃しました。」

にこりと笑い
「それを聞きたいと思っていたのです。」

そう言って、奥へと戻っていった。
そして家来たちに見えぬところまで下がると、そのまま打ち伏し、前後もわからなくなるほど泣き、嘆いたとのことである。

当主である半之丞が死んだ以上、蜂屋家を守るのはこの母である。
息子の戦死とはいえ、家来達の前で嘆くわけにはいかなかったのだ。

そんな時代の、武士の母の、お話。

偉人たちの名言

「無能な働き者は害悪である」
(H・V・ゼークト:第一次大戦後のドイツ陸軍中興の祖)
「活動的な馬鹿より恐ろしいものはない」
(ゲーテ:18世紀のドイツ最大の劇作家、小説家、詩人、哲学者、政治家)
「無能な味方よりも有能な敵のほうが役にたつ」
(マキャヴェリ:イタリアルネッサンス期の政治思想家、外交官)
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
(ナポレオン:フランス革命期の政治家、軍人、フランス皇帝)



「政府の中でオレが一番原発のことをよく知っている」
(菅直人:20後半~21世紀初め 民主党党首、反日活動家、プロ市民)
「海水を長いホースで原子炉に汲み上げるべきだ」
(鳩山由紀夫:  同  民主党元党首 脱税犯) 
「ガソリンを学校のプールに貯蔵すればいい」
(安住淳:  同  民主党国会対策委員長 新聞記者)

DQNネームに一言

恥子(さとこ)…聡子の間違いかと。気持ちは分かる。

秋桜(さくら)…コスモスだよそれじゃ。なぜ秋をつける必要がある?

空海(ぶるう)…そりゃ青いけどな。確かに。比叡山には行くなよ。

綺羅亜(きらあ)…この辺になると微妙ネームというよりは立派なDQNネームに。

聖夜(いぶ)…イブは前夜です。これも男の子の名前。

茄子(かこ)…それは「なす」です。確信犯?

土竜(とりゅう)…「どりゅう」でさえない。穴掘りが好きな男の子になりそう。地下生活者になったりしてね。

翁(おきな)…女の子の名前です。この子に弟ができて媼(おうな)と名づければカンペキ。

二成(ふたなり)…二又一成という声優さんを個人的に「ふたなり」と略しています。ごめんなさい。

殉子(じゅんこ)…乃木大将かと。キリスト教徒かもしれんね。

黄泉(よみ)…女の子。よみ、と音をあてている以上、黄泉=あの世、と親は知っていると思われ。どういう意図があるのだろう。

王子(きんぐ)…それプリンスですからっ!

羽根(ている)…それフェザーですからっ!!

風(すかい)…それ、ウィンドですからっ!!!

宇宙(てら)…地球のみが宇宙と思ってませんかっ!!!

金星(まあず)…役所の人も一声かけてあげればよかったのに

幸せだった頃の母の写真

・雇用機会均等法の世の中で男女平等なんだから女も働け
・家事は全部しろ、女だろ
・育児は全部しろ、母親だろ

こんな要求を母に対してしていた父。
母は言われる通りに四六時中働き、40代になってすぐに癌になって死んだ。
見つかったときにはもう全身に転移が進んでいて、手術も出来ない状態だった。

独身時代の写真を見たら、若々しくて愛嬌のある丸顔で幸せそうな笑顔をしていたのに、私が知っている母は頬が痩せていて濃いクマが出来ていて無表情で、年齢よりずっと老けて見えていた。
小学生の頃、「老けてるから授業参観に来るのが恥ずかしい」なんて考えていた自分が恥ずかしい。
子供は居ないけど既婚女性となった今、母がどれだけ死ぬ思いをして一人で私と弟を育ててくれたか、そればかり考える。

月命日には遺影に手を合わせ、三か月に一回は新幹線の距離の地元に帰って墓の掃除をしている。
生きている頃に何もしてあげられなかったのが、悲しくて悔しい。愚かな娘で本当に申し訳ないと思う。
中学校の修学旅行で観光地の土産を買っていったとき、母が不意に涙を流したことがあった。
独身時代の写真には、女友達と旅行に行っている写真が何枚かあった。もしかすると、母は旅行が好きだったのかもしれない。
しかし結婚してから一度も行けぬまま死んでしまった。私の人生初旅行が修学旅行だったくらいだから…。
今、夫と旅行に行くときは必ず母の写真を持って行っている。

生きている時に連れていけていたら…と思うけど、母が亡くなった時の私は受験生で、金も時間も無かった。
でも、ねぎらいの言葉や、感謝の言葉はいくらでもかけることが出来たのに、と思う。
自分のことばかり考えて、いっぱいいっぱいだった。
子供の素直さを失いながら、大人の思いやりも持っていない、自己中心的でくだらない娘だ。
若い頃の写真も、母が亡くなって初めて見たくらいで、母の人生に何の関心も持たなかった冷たい娘だ。
もっと話を聞きたかった。母は何が好きだったのか。若い頃、どんな思い出があるのか。
何を思ってあんなに働いていたのか。あの頃、私にして欲しいことは何だったのか。
どんな老後を思い描いていたのか。子供の頃、どんな夢を持っていたのか。
結婚して私たちを産んだことを後悔してはいないか。もっと自分の人生を生きたかったんじゃないか。
何も話さなかったことを、後悔するばかり。

スト2の思い出

数年前まで俺がよく行くゲーセンで、毎日のように外人が一人いて、スト2の対戦台で戦っていた。
結構狭くてぎゅうぎゅうの店で外人は目立つ。

彼はダルシムを使い、いつも戦っていた。
中級者だったので勝ったり負けたりだったが、なんだろうな、変に感傷的になっちゃうんだな。
海外から日本に来て場末のゲーセンでスト2をやっている姿は切なかった。

ある日彼に話しかけてみた。どこから来たのか、何歳か、何をやっている人か‥

彼はアメリカ人で米軍の男だった。
このゲーセンは横浜にあるので、横須賀か、厚木の基地だったと思う。

俺も英語が得意なワケじゃないので片言で話していた。外人のワリにガチャプレイじゃなく、普通に技を出すのでゲームの話もおもしろくできた。
何度かそんなやりとりを繰り返していたが、日本を離れるという話を聞いた。
イラクに行くと。

この日が最後になるので、対戦しよう。と、二人で戦った。
俺はリュウで、彼奴はダルシム。

ダルシムのくせに。なんて最初は思ってたけど姑息な技も使わないくせに強かった。
でもギリギリで俺が勝った。

彼はスト2以外はできないので、その日は何度も何度もスト2ばかりをやった。

帰り道に彼と駅まで一緒に歩いた。
次に日本に来るのはいつか。と、訪ねたが、イラク関連のニュースを見ていればだいたい目安はわかるだろう。と言っていた。

別れ際に彼と俺は少し涙目になりながら握手をした。
「ブッシュとフセインもスト2で戦えばもっと平和なのにな」

彼がそういいながら改札口に消えていった姿を見てなんかすごい悲しくなった。イラク戦争が身近に感じた。

俺は今もそこのゲーセンにダルシム使いがやってくるのを待っています。
プロフィール

ナイア

Author:ナイア
どこかで見たことのある話を載せていきます。

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