ミ○ドのスクラッチカードをくれた

生まれつき身体が弱く、ちょっとの発熱でも、小児科医療先端の大きい病院へ受診しなければならなかった。
調子がよくても月に何回か定期検査があった。

父は働き盛り。その為バス、電車を乗り継ぎ、片道2時間弱の母と二人の通院。(母免許なし)

検査につぐ検査で、私は嫌がり、痛い、もう行きたくない、とどうしようもない子だった。

その日は検査が長引き、夕方すぎに病院最寄りのバス停へ。
バスがあまりこない時間帯で、くたくたで近くのミ○ドへ。

当時ミ○ドではスクラッチカードの点数を集め景品がもらえた。
何故かその時の景品がどうしても欲しかった私。だだをこねた。

それに加えて今日も痛かった、病院なんてもう嫌、なんで自分ばっかり、と母を余計に困らせていた。

まばらな店内、近くにいたご老人の方が、あと何点足りないのかな?小さいのに注射頑張ってえらかったね!
とスクラッチカードをくれた。

するとまた違うおばさんたちも、すでにカードを集めてくれていた。

採血だらけで腫れ上がった私の腕を撫でて、頑張ったね頑張ったね!て褒めてくれた。

点数はすぐに集まり、カウンターで景品と取り替えた。
母は周囲へずっと頭を下げ、お礼を行っていた。

たまに出先で福引きなんかを見かけると、母は嬉しそうに20年前のこの話をする。

なるべく福引き券は、ちょっと枚数がたりない人に声かけて譲っています。
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ママのおもちゃ、投げたりしてごめんなさい…

3歳の娘が、週末の公民館での開放プールを楽しみにしてる。
プールは一人に一つ玩具持ち込みOKなので私も娘に玩具を…
ケチなのもあるがプールの為だけに買うのも何だしなぁと、家にある小さいペットボトルで、いわゆるゴミ玩具を作った。
ゴミ玩具とはいえ私なりに手をかけ、ビーズを中に入れたりして可愛らしく作った。
娘もとても気に入った様で、お風呂でもそれで遊んでいた。
で週末プールにそれを持っていった娘、楽しく遊んでいたのにどこぞのギャルママに
『何それ?手作り?ダサいね~、あんたのママ買ってくれないの?ダサイダサイ…』
と言われ。娘はキョトン…。しかもそのギャルママの子までが、ダサイダサイ騒ぎだした。

娘は無視して私の方にやって来たが、その子がついてきて、ダサイダサイ連呼。
娘は半泣きになって、自分の玩具をプールの外に投げ出してしまった。
娘はその日、今まで無い位におとなしくなって、何も話したがらなかった。
私は少々心が痛かったが『新しい玩具買いにいく?』と聞いた。
しかし娘は無言で、首を横にふった。

そして夜、娘が『ママのおもちゃ、投げたりしてごめんなさい…また遊んでいい?』と言った。
嬉しかった。

あれから5年

誰もいないみたいだから少し語ろうと思う。

俺の嫁さんの半生は無茶苦茶な人生だった。
5歳の時両親がW不倫で離婚し、どちらも引き取らず施設へ。
そこの施設では虐待、いじめのオンパレード。
(まともに中学校もいけず) 
16で脱走して夜の世界へ。
そこで出会った男には金蔓扱いで挙句893に身売りされかけ、その後は逃げるように各地を転々としながら派遣として某観光地のホテルで働く。
という修羅場の見本市みたいな嫁だった。

出会いのきっかけは嫁が働いていたそのホテルのバーに入った時、俺がバーテンダーをしていたから。

従業員どうしちょくちょく顔を合わせる事もあり次第に仲良くなっていった。 
とは言っても最初はめっちゃ警戒された。 
(嫁曰く、嫌いとかじゃなく過去の経験から) 

バーに来る回数を重ねるごとに彼女への想いも強くなりとうとう彼女に想いをぶつけたが
答えは「考えたい」とのことだった。

それを機に彼女がバーへくることも途絶え、諦めかけていた。 

ひと月たったある日、彼女がふらっとバーへ現れた。 
「俺君の事は好き…でも怖いんだ」 
「怖いって性格とか?」 
「そうじゃないんだ…」 
蕩々と過去を話す彼女。 
虐待の事…男の事…手首の自殺痕の事… 
「だから…諦めたほうがいいよ?」 
「でも…好きって言ってくれたじゃん…少しずつでいいから俺の事信じてくれないかな」
我ながらダサい台詞だったと思う
「うん…わかった…信じてみる」 
こうして彼女と付き合うことになったがここからがホントに大変だった。

彼女曰くトラウマと言うのは、何気無い時でも簡単にフラッシュバックしたり防衛反応を起こすらしい。
当時部屋で二人でまったりしてても俺が不意に動くと頭を抱えてガードしたり、彼女が飲み物をこぼしたときは「ごめんなさい…殴らないで」など常に俺の挙動に怯えていた。
また、メールをしていて途絶えたので、寝たかなと思っていると深夜に部屋へ来てメールを返さなかった事を謝りに来るなんてこともあった。

「大丈夫…この部屋にはそういう事絶対ないからな…」 
そう言って彼女を落ち着かせる事しか出来ない自分が虚しかった。 

そんなある日彼女がこんなことを尋ねた。
「俺君は怒ったりしないの?」 
少し迷いながらも 
「あんまり酷い目にあったら怒るよ?」 
「メール返さなかった時は怒らなかったよ?」 
「別に怒るような事じゃないじゃん」 
「謝ったから?」 
「あの日…別に謝ったりしなくても俺は怒ったりしなかったよ?」 
「なんで?」 
「疲れて眠かったりなんて事誰だってあるじゃん」 
「そうだけど…」 

この時なんとなくだが彼女の抱えてるトラウマの一部を分かった気がした。 
俺はひとつの「ルール」を決めた。
「自分のしたいことを優先しよう」 

「どういう事?」 
「眠かったら寝る、腹減ったら食べる、風呂入りたくなったら入る。ただし浮気は除く」
「浮気ってwwしないしw」 
はじめて彼女の本当の笑顔を見た気がした。

その日を境に彼女が少しずつだが「普通」になっていく気がした。 
中でも変わったのは「頼み事」をするようになった。
「ゴミ箱とって?」 
「エアコン停めてくれる?」 
普通なら気にも留めないやり取りが嬉しかった。 
デートの提案もするようになった。 

「最近楽しそうだね」と聞く上司に「そうですねw」と答えるのをみて嬉しかった。

だがトラウマと言うのはなかなか消えてくれないものらしい。

月日が流れ、俺は独立して自分の店を持つことにし、ホテルを辞めることになった。
そこで俺は彼女にプロポーズした。
答えはもちろんyesだった。
俺の地元で店をやることにし、マンションも借り、新生活を始めた。

だが、それもまた大変だった。

部屋にソファーをおいたのだが、彼女は床に正座している。
「ソファー嫌い?」 
「座っていいの?」 
「ここは彼女ちゃんの家なんだから、好きに使っていいんだ」 

嫁曰くその頃は自分が部屋の主でもあるということが理解し難いことで、寮の時と同じくマンションも俺の部屋にきているのと同じ感覚だったらしい。

また、マンションでの初めての夜、俺が開店準備で帰宅が深夜になりベッドルームに入ると気づいた彼女が反射的に飛び起きて正座する、なんてこともあった。

「大丈夫…寝てていいよ」 
「うん…俺君だから…ぶたれないんだよね?」 
「…抱きしめるけどな」 

…出会って2年経ったその日、彼女と初めて唇を重ね、体を重ねた。

そんなこんなでいよいよ開店の目処も立ち俺の両親に挨拶の日がやって来た。
彼女はとにかく心配そうだった。

実家につき、改めて彼女の事を両親に話す。

「分かった…これからも息子をよろしくお願いします」 
親父の一言に安堵した彼女は泣いていた。 
「彼女のご両親にはいつ伝える?」 
はっとなった。どう話せばいいのか… 
逡巡している俺。 

だが彼女は意を決したようにゆっくりと話しはじめた。 
…親の事…施設の事…16歳の事… 

話しが終わって発した両親の優しい一言は今でも嫁さんの心に残っているらしい。

「じゃあこれからの両親は…私たちでいいわね?」 
「俺娘欲しかったんだけど母ちゃんが二人でいいって言うしさぁ」 

「…ありがとうございます…わたしでよければ…」 

彼女はその日嫁と言う立場になり、両親と言う人を得た。

その日は一日泊まることになった。

夕飯の時間になり、お袋の準備を手伝う嫁は本当に楽しそうだった。
料理が食卓に並び、「いただきます」の声。

「食べてもいいんですよね…?」 
「そうよ…遠慮しないで沢山食べなさい」 

お袋の声を合図に嫁は今までの過去を流し去るようにワンワン泣いていた。


昨日結婚5周年のお祝いをしたとき
嫁に「俺君に会えて初めて人生楽しいって思えるようになりました」って言われたので
記念語り。
付き合っていただきありがとうございました。

堪え切れぬ涙

鬼の目にも涙と戦国時代でも死亡フラグな話

本能寺の変後、金山城に撤退してきた長可が母に会うと、彼女はただただ、泣いていた。
彼女は夫である可成の死後、残った五人の息子を支えに生きてきたが、成利、長隆、長氏の3人が本能寺で討ち死にしたと聞き何度も自害しようと思ったという。
しかし、長可と忠政が帰ってくるのを信じて待っていた。

「この世は生者必滅、まして武家に産まれたのなら尚のこと、命を惜しみ恩賞に執着するのは家名を汚すだけでなく子孫を滅ぼすことです。例え、女であっても武家の生まれならご存知のはずでしょう。さぁ、泣くのは止めて、念仏を唱えてください。今は忠政の無事の帰還を、そしてこれからは父上と3人の供養のために」
と、長可は母を諌めた。

だが、母は「昔の聖人である孔子も子に先立たれた時は涙を流したと聞きます。天神様ですらそうです。まして、この乱世の末に子を失うことがどれだけ悲しいことか。こうなる事が解っていればもっとあの子たちの顔をよく見ていたし、暇乞いもしたというのに、信長公に召抱えられた嬉しさのあまり、特に何をするこもありませんでした。それに最近、あの3人から同じような内容の手紙が届いたのです。

―母上へ、お元気ですか?最近、妙に母上の事が懐かしく感じます。
実は、この夏の間に信長様は西へ向かわれるそうです。なので3人で暇を願い出て母上に会いに行こうと思っています。
それではまた。―

あの子達にまた会いましょうと言える嬉しさ、今か今かと待っていた矢先に3人の討ち死にです・・・3人の手紙を袖に入れてあの子達が恋しくなる度に読み返しているのです。」
と3人の手紙を長可に渡した。

その手紙を読んだ長可は咽び泣き
「早く奥へ入り、体を休めてください」と母を慰めた。

子供の時から親父の部屋を覗きに行くのが好きだった

子供の時から、親父の部屋を覗きに行くのが好きだったんだ。
なにかしら楽しい物や、笑える行動があったよ。

コンコンとノックする。「おーい、お父さーん」「…なんだ?」

ある時は、机で姿勢正しくマンガを読む親父。横には「うる星やつら」全巻。
ある時は、家に無い筈のファミコンでマリオをしてた。
ある時は、虫眼鏡と極小ハサミで、紙を切って原寸大のアリの模型を作ってた。
ある時は、エレキギターを分解して、半田つけとかしてた。
ある時は、だらだら寝転がって、カフカとか読んでた。
ある時は、ダイエットボールの上でふわふわ揺れてた。
ある時は、パイプとベレー帽姿で油絵を描いてた。
ある時は、「フェルマーの定理」を解こうと紙に数字を書きまくってた。
ある時は、鏡文字の練習。裏から透かしてみたら、そりゃ見事な書体だったw

どれも中途半端で終わらなかったのが、すごいな。

先月に80歳で亡くなって、いま遺品整理にかかっている。
もう親父がいない部屋で、ビリーズ・ブートキャンプ見つけたw
爆笑してから、少しだけ泣いたw

親父、俺この部屋もらうよ。楽しかったよ、ずっとありがとな、お父さん。

僕の中で何かが吹っ切れた。もう死のう。

508 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:49:42.65 ID:6eAj26SS
今日、二輪免許に合格しました。教習所に通うようになってからバイク板を覗くようになり、
受かった暁にはどこかに書きたいと思ってたので、良ければ数レス使わせて下さい。
泣けると言うより、僕が泣いてしまった話ですが。

小中高と典型的ないじめられっ子で過ごしてきて、高2の後半から登校拒否の引き籠りになりました。
それでも月数回の保健室登校や別室で試験を受けたりして、何とか高校卒業までは漕ぎ着けました。
卒業するのでやっとだったので、当然ながら受験も就職も何も対策しておらず、またそのやる気も一向に湧かず、
卒業してからはずっと部屋に引きこもってました。

両親に心配と負担をかけている事は分かってるつもりでした、しかし今まで家の外でまともな扱いを受けた事のない身としては、
これから先、もっと厳しくなる環境で自分なんかがやっていける訳がない、いじめを受ける何らかの要素をきっと自分は持っている、
でもそれが何か分からない、どうすればいいかわからない、でもこのままではどうしようもない、どうしようどうしようと毎日絶望と苦悩で一杯でした。
そんな引き籠りが1年ほど続き、僕の中で何かが吹っ切れました。もう死のうと。

自室にあった現金をかき集め、両親に何も言わず気付かれない様に、深夜に家を出ました。
ずっと歩いて歩いて、踏切で始発が動いている事に気付いて、近くの駅から電車に乗りました。
出来るだけ遠くを目指している内に、ある場所を思い出して、そこを目的地にしました。
何度か乗り換えて終点に着いた頃には、もう夕方に差し掛かってました。
駅から暫く歩き、とある岬に着きました。観光地としても自殺の名所としても割と有名で、
眼下を見下ろすと、成程これは助かるまいと冷静に納得してました。
もう少し奥が良かろうか、と思って進もうとすると、いきなり声をかけられました。
『やあ、兄さん、地元の人かい?』
振り返ると、おじさんと言うには微妙に若いおじさんがいました。
「はあ、一応県内ですが…」
『へ~、どの辺から来たの?』
「あ、○○市の方です…」
『ふ~ん、ごめん、俺九州の人間だからどの辺か分かんないや』
「…」


509 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:51:03.21 ID:6eAj26SS
聞いといてなんだそれは、と思いつつ、余り関わり合うと色々と面倒になりそうなので、それじゃ、と無視して進もうとすると、
『兄さん、生きるのは辛いかい?』
びっくりして振り返ると、
『ま、そんなカッコで一人虚ろな顔でウロウロしてるから、カマかけてみたんだが…』
むしろその予感が当たった事に驚いた風な表情でした。
この時は春先とは言えまだそこそこ寒く、GパンにTシャツの上に1枚羽織ってるだけの、
部屋からそのまま出てきた様な格好でした。まぁそのまま出てきたんですけど。

『取り敢えず、寒いだろ。コーヒーでも飲もうや』
そう言うとこちらの返事も待たずに歩き出してしまいました。こちらとしては付いていく義理はなかったんですが、
『どうした、コーヒー位おごっちゃるけん』と言われ、人と話して緊張の糸が切れたのか、それまで何とも感じてなかったのに
急に寒くなってきて、それでどういう訳かいまだに分からないけど、何故かおじさんの後に従いました。

駐車場の自販機でホットコーヒーを礼を言って受け取り、一口呷りました。じんわりと暖かかった。
『…まー、これでも色々あってね、俺もそこそこ惨めな人生歩んでるんだろうとは思うよ』
『正直、今の兄さんを止める資格はないだろうね、俺も人生に見切りをつけた時は確かにあったし』
『ここまで来たんだ、生半可な覚悟じゃないだろう。兄さんがどうしてもと言うなら、俺は力づくで止めたりはしない』
『知らぬ顔して、そのままアレで走り去るよ』
顎でしゃくった先には、真赤なバイクが止まっていた。僕は何となしに
「バイク…」
と呟いていました。
『そう、バイク。あれは良いぞ。生きるにも死ぬにも持ってこいだ』
「はぁ…」
『そういや、兄さんどうやって来たの?」
「歩きで」
『どこから?』
「駅から」
『何で?』
「それは…」
とこんな感じで、誘導尋問の様に段々と古い話までほじくり返されて、
いじめられて引き籠って進退窮まったどうしようもないクズという所まで話してしまいました。


510 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:52:16.68 ID:6eAj26SS
「…人から受け入れてもらえない、そんな僕がこれからどうして生きていけるのか」
『ふ~ん。 兄さんさ、バイク乗れば?』
「は?」
『バイクはいいぞ。整備と燃料を怠らなければ、文句言わない。こんな俺でも受け入れてくれる』
『それだけじゃないぞ、俺一人じゃ行けない所まで連れてってくれる。俺はアイツを、そこらの人間以上に大事に思ってる』
「バイクをですか?」
『バイクをだよ。他人なんかクソ喰らえだ』
『受け入れられないならさ、別に良いやん。一人で上等。バイクは一人で乗るものだから、丁度良い』

この、全くの赤の他人から、何の根拠もなく、でも自信満々に「一人で上等」と言い切られた事に、僕はすごく衝撃を受けました。

『一人で生きていくのが辛いなら、難しいなら、尚の事バイクに乗れ。バイクは決して一人にしない。乗り手が見放すまで、健気に応え続けてくれるから』
『一人じゃ立てないモノ同士、仲良く支え合っていけるから』
僕は人前だと言うのにぼろぼろ泣きだしてしまっていました。
「こんな僕でも、乗れるバイクありますかね…」
『乗れるバイク、じゃない。兄さんが乗りたいバイクが、兄さんを待っているバイクが、絶対にあるもんだ』
辺りはすっかり暗くなって、僕が落ち着くまで、おじさんは近くも遠くもない所でじっと立ってるだけでした。

駅まで戻ると、幸い、まだ数本は電車が残っていました。ついて来てくれたおじさんに、お礼と質問をしました。
「他人なんかクソ喰らえなのに、どうして僕に声をかけたんですか?」
おじさんはニヤッと笑って、
『だって、兄さんはバイクに乗るんだろう?だったら、仲間だからな』
『バイクに乗ってる時は、限りなく一人だ。でも、バイクに乗ってるヤツは一人じゃない。だから、俺も一人じゃない』
「みんな仲間なんですか?」
『そこまでハッキリしたものでもないし、皆が皆、そうでもないけどね』
「バイク乗ってる人は、みんなおじさんみたいな感じなんですか?」
『さ~、どうだろうね…。それは、これから兄さんが自分で知って、感じていく事だ』
『約束だ。免許を取って、バイクに乗れ。そしたらいつかどこかできっとまた会えるから。
バイクで動くには、日本は狭すぎる。こんだけ狭ければ、きっとどこかの道でまた会えるから』


511 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 21:54:25.65 ID:6eAj26SS
電車の到着を知らせるベルが鳴り、僕は電車に駆け込みました。おじさんはピースで見送ってくれました。
初めてもらったピースサインでした。
電車が走り出して間もなく、いつの間にかおじさんが並走してました。おじさんはいつまでも僕に向かって親指を立て続け、
僕はおじさんが見えなくなるまで、ずっと窓に額をおしつけていました。

主要駅まで戻って、家に電話したら、すごく心配したと、迎えにいくから待ってろと言われました。
家に着いて、両親にこれまでの事を謝り、バイクに乗りたいと伝えました。
二人ともびっくりしてましたが、お前がやりたい事を、満足いくまでやりなさいと言ってくれました。

教習所に通い出して、外に出る様になって、「このままどうにかなりそうかも」と思える様になりました。
学校ではあんなに辛かった周囲の視線が、そんなに感じなくなりました。言う程、人は僕を見ていないんだなって。
今は、取り敢えず大学に行ってみようと、1年遅れで勉強してます。

書きやすいよう、読みやすいように補足入れたりしてますが、概ねこんな流れでした。
自分の外に出したことで、少しすっきりしたような感じがします。
まだ肝心のバイクを買ってないのですが、取り敢えずその資格を満たしたと言う事で、
これで僕もおじさんの仲間入り出来たのかなと思ってます。
おじさんはこうも言ってました。『風を切って、風になって、初めて見えてくるものもある』と。
早く相棒を見つけて、僕もおじさんや皆さんと同じものを見たいと思っています。

結構使ってしまいました。長々とすいません。


512 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 22:35:27.41 ID:paF/dJ5R
>>508
免許取得おめでとう!
勇気を出して起こした行動には絶対に良い事があるよ
バイクは本当にいいよ
でも事故にだけは気をつけてな


515 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 23:44:30.82 ID:fN6FSKXi
>>508
久しぶりに良い話だな。
俺から言わせりゃ学校より会社の方が楽だ。
会社の人間関係が悪けりゃ辞めりゃいいだけだ。

辛い中高校卒業までこじつけたンだからマダマダ大丈夫。
その内何処かの道ですれ違ったらヤエってやるぜww


522 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 12:24:05.00 ID:A8M0hwlU
>>508
俺も生きて行こうと思う。
守るモノが多過ぎて疲れ切っていたけど、君に力をもらったよ。
ガレージで眠っている隼をまた乗っていきます。
まずは洗車かな?

こんなスレ読んだのもきっと運命なんだろうな。

ありがとうございますm(__)m


516 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/05(木) 23:52:00.45 ID:cWjHFK7R
>>511
まぁアレだ。
バイクなんて乗らなくても生きてくのに支障は無いんだが、乗ると何かが変わるよな。
ツライ事の方が多いんだが、その分嬉しい事や感動する事が倍増してる気がする。
乗ってる時が1人な分、降りてる時に他人に優しくなれる気がする。

これからも色々あるだろうがマイペースで無理せずにな!


517 名前:774RR[sage] 投稿日:2012/07/06(金) 00:37:11.19 ID:7TPBC0rZ
バイク乗ると体の底から力が湧くんだよな
不思議な乗り物だぜ

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある

俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていてそれほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。

母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」とぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。

しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。

普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。

今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。


その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。

嫁が交通事故で死んだ

ようやく笑い飛ばせるようになったんで、俺の死んだ嫁さんの話でも書こうか。 

嫁は交通事故で死んだ。
ドラマみたいな話なんだが、風邪で寝込んでいた俺が夜になって「みかんの缶詰食いたい」ってワガママ言ったせいだ。
嫁は近くのコンビニに買いに行き、メチャクチャな運転のDQN車にはねられたDQNしね。

俺は事故の事を全く知らなくて、救急車来てるな~と思いながらトイレに立った。
そしたら、台所にいる嫁の背中が見えた。
帰ってくる物音が一切しなかったのに、と思いながら「いつ帰ってきたの?」と話しかけても嫁の返事はなかった。
「みかんどこ~?」と聞いても黙ったまま。(いま考えると凄絶に阿呆だ)
俺は嫁の機嫌が悪いんだ、と判断。そのまま寝室に戻った。

そのあと、1時間後くらいに嫁携帯から俺の携帯に着信。
かけてきたのは病院の人で、この携帯の持ち主が事故にあって意識不明です、と。
何いってんのか分かんなかったね。
嫁が携帯を落として、拾った人が事故にあったのかと思った。嫁はうちにいるんだから。
だけど家じゅうさがしても嫁いないし、病院の人のいう服装や特徴が嫁と一致してたんで、とりあえず、なんかの間違いだろうけど、万が一を考えて、病院に行った。
行ってみたらば、嫁が死んでた。
俺が家で嫁を最後に見た(と思ってた)時、嫁はもう事故にあってて、俺はその時の救急車の音を聞いてたんだ。

で、その後警察が来たり嫁の身元確認をしたり俺が熱ぶりかえして倒れたりで1日入院。
駆け付けた嫁の両親と、一旦家に戻った。
そしたら、家を出る時にはなかったはずの雑炊が、鍋の中で冷めていた。
卵とネギとショウガがこれでもかーと入った嫁の味の雑炊。
俺がショウガ苦手なのに、風邪ひくと必ず食わされた雑炊。
前日に家を出るときは絶対になかったはずなのに。

ここまで、俺が缶詰みかんが食えなくなって、ショウガが好きになった話。

ナースステーション前の廊下に犬?

病院勤めしてるんだが、昼前にナースステーションで書類を書いていると、なにやらナースが騒いでいた。
なにかあったのかと聞くと、廊下に犬がいると言う。
そんなばかな、すぐに追い出せよ! と廊下に出ると、確かに犬がいた。
それも家の飼い犬のメンメンだった。
俺の姿を認めると、尻尾を振って嬉しそうにこちらを見ている。
なにがなんだかよくわからず、一瞬混乱したが、とにかく捕まえなきゃとしゃがんでメンメンを呼んだ。
しかし、いつもなら飛び付いてくるメンメンが動かない。
こちらから近づくと尻を向けて逃げてしまった。

慌てて後を追ったが、角を曲がったところで忽然と消えてしまった。
先は行き止まりだし、病室のドアは空いていない ほんとに幻のように消えた。
その場に居合わせた全員あっけにとられたが、とにかく病棟全体を捜索し、警備員にも頼んだのだが、メンメンは見つからなかった。
ふと嫌な予感がし、仕事の合間に携帯をチェックすると、母からの着信が何件もあった。
やはり、メンメンの訃報だった。
俺がメンメンを見たほぼ同じ時刻、散歩中リードから抜けると、そのまま道路に飛び出したらしい。
俺は色々な意味でショックを受け、その日はそうそうに切り上げ早退した。
驚いたのは家に帰ると、一人暮らし中の姉まで帰ってきていたことだ。
姉は夜勤明けで眠りに着いた直後、メンメンの夢を見たらしい。
やはりメンメンが尻尾を振ってこちらを見ているので、近づいたらそのまま逃げ、消えてしまったという内容。そして母からの着信で目が覚めたとか。

それまで霊現象など信じていなかっただけに、人生観を根底から揺さぶられた。
そして最期に挨拶に来てくれたメンメンの律儀さに泣いた。

目撃した人はみな線香をあげに来てくれ、メンメンはうちの職場ではちょっとした有名人(犬?)になった。

しかしメンメンよ、挨拶に来てくれたのは嬉しいが、ちょっと目立ちすぎだよ笑
でもありがとうな 天国では大好きなチーズいっぱい食べて、いっぱい遊ぶんだぞ さよなら

あなた達は早く逃げなさい!

結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。
意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ、足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず、シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。
何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。

その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬に帰省する事になった。
そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。
朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。
食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。
名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。
私を抱きしめる腕も肩も頭も血が出ていた。
夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れだしてくれた。
歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。
義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり、階段にはヒビが入っていた。

呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。
廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。
姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。
泣きながら「あなた達って・・・お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。
足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。
夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら
姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」
そして血だらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。

結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を下りました。
避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。
マンションは数日後に全壊した。
避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。
初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。
未曾有の事態に母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで
痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が
「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。
避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。

あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。
福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。
同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。
ありがとう、おかあさん。あの時の血だらけの貴方を忘れません。
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Author:ナイア
どこかで見たことのある話を載せていきます。

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