錆び付いた自転車のカゴ

うちの息子は中学生になりましたが、あの子が小さい頃は今のようにいろんな種類のおしゃれな子供用座席ってあまりありませんでした。
金属製のカゴのような、簡単なものです。

息子が小学生になった時、もう、乗せることはないからと、その座席をはずしたんです。
長く使っていたのでいたるところが錆び付き、ドライバーを使ってもなかなかはずれない。

必死になってはずしながら一息ついたとき、急に涙が溢れてきました。
私は車の運転が出来ないので、息子とどこかに行く時にはいつでもこの自転車と一緒でした。

具合が悪くて小児科に行く時、寒くないようにバスタオルで息子をくるんでここに乗せたな、幼稚園バスに乗ると気持ちが悪くなるからと、毎日二人で歌を歌いながら幼稚園に向かったな、春は桜を見上げながら、夏は汗びっしょりになって、冬はだるまさんのようにモコモコにさせて、いつも二人、この自転車と一緒だったな・・・。

「ママ、あのね・・・」「ママ、おなかすいた」。
背中から、いつも息子の声がしました。

毎日何気なく、当たり前のようにしていたことがもうできないんだ、と思ったら涙が止まらなくなりました。

早く大きくなればいいのに、何でも一人でできるようになればいいのに、
早く自分の時間がほしい、早く・・・。

ずっとそう思っていたはずなのに、本当に寂しかった。
今はどんなに望んでも、あの頃に戻ることは出来ません。

錆び付いたカゴがとても愛しいものに見えました。
長い間、ありがとう。これからもママがんばるよ。
そう言ってさよならしました。

今、子育て真っ最中のお母さん、毎日大変だと思いますが、今しかできないこと、お子さんといっぱい思い出を作ってくださいね。
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主人は3年前に左目を失明した

主人は3年前に左目を失明した。
義眼を入れているので、見た目は言われなければわからない。
その失明した原因は当時1歳7ヶ月だった息子とじゃれあって遊んでいた時。
おもちゃの先端が主人の左目に運悪く刺さってしまったからだ。
 
事故当時、主人より息子の方が泣き叫んでいたように感じる。
子供心にただ事ではないことを感じていたんだろう。
傷の具合が良くなくなってから主人は、自分の運転中に何かあってはならない、と思い車の運転をやめた。
趣味だったバイクも売った。
ただ、いつの日か後ろに乗せて一緒に出かけるために、息子の1歳の誕生日に買った新品の子供用ヘルメットはまだ家にある。

4歳を過ぎた息子は今、父親の左目が見えないことも、なぜそうなったかも、まだ知らないはずだ。
言ってはならないと主人にきつく言われているし、私自身わざわざ教える必要もないと思っているからだ。
ひょっとしたらもう父親の異変に気づいてるのかも知れない。
主人は今日も息子と一緒に公園に出かけ、大はしゃぎしながら帰ってきた。
いずれ父の左目が見えないことも、その理由も知る時が必ずやってくるだろう。
だけど私には泣きじゃくる息子の頭を笑顔で撫でている主人しか想像できない。
主人が、父親が、彼で本当によかったと感謝の気持ちでいっぱいです。

パンチパーマにグラサンの借金取り

昔住んでたボロアパートの隣の部屋に母子家庭の親子が住んでいた。
以前は父親もいたけど、借金こさえて蒸発したらしい。
母親は馬車馬のように働いていたものの、時々返済が滞っていたらしく、当時小学3年の男の子一人で留守番しているところに借金取りが来ることがあった。
まだ子供なのに「オヤジはどこだ!」とか怒鳴られていて可哀相だったけど、パンチパーマにグラサンのあからさますぎる怖いお兄さんを見て声をかける勇気も出ず、情けないけどそいつが帰った後で菓子パン買って男の子を慰めるくらいしかできなかった。

ある日の夜、隣の部屋の玄関付近でごそごそする音が聞こえた。
母親が帰って来る時間じゃなかったし怪しいと思って覗いたら、例の怖いお兄さんがパンパンにふくらんだコンビニ袋をドアノブに引っ掛けようと奮闘しているところだった。
お兄さんはなんとか袋を掛けると、財布を出して物凄く渋い表情を浮かべながら札を出したり引っ込めたりし、最終的に何枚か抜いて新聞受けに入れた。
そして私が眺めていることに気づくと( ゚д゚)ハッ! て顔をして
「お前な。絶対言うなよ?言ったらぶち殺すからな」
と鬼みたいな顔でささやくと足音も立てず去っていった。

翌日、隣の男の子に「きのうお父さん帰ってきたんだ、お弁当とパンとお菓子とおもちゃ買って来てくれたんだ!」と嬉しそうに報告された。
男の子の手には当時流行っていたウルトラマンティガのソフビ人形が握られてた。

このプロジェクトは無理です

1. プログラマーからシステム・エンジニアへ

「このプロジェクトは無理です。大きなデザイン変更を強いられる上、うちのチームにはこのシステムのデザインについて知る者は誰もいません。それにうちの会社にこのアプリが書かれた言語を知る人もいません。個人的な見解を申し上げますと、当社でこのプロジェクトを絶対に引き受けるべきではありません。」

2. システム・エンジニアからチーム・リーダーへ

「このプロジェクトはデザインの変更が必要で、現在うちのスタッフに経験者はおりません。言語も見慣れないもので、この仕事を引き受けるなら、そのための研修が必要だと思います。個人的な見解を申し上げますと、こういったタイプのプロジェクトを引き受けるには準備が十分ではありません。」

3. チーム・リーダーからプロジェクトマネージャーへ

「このプロジェクトはデザイン変更がシステム内で必要で、私たちはこの案件に対する専門的な経験がそれほどありません。さらに社内にあまり多くの人が相応しい研修を受けていません。個人的な見解を申し上げますと、通常より完成には時間が要するものと思われます。」


4. プロジェクトマネージャーからシニアマネージャーへ

「このプロジェクトはデザインの再構築が必要です。幾人かは経験があり、数人は実装言語がわかります。なのでわかるものが他のものを研修させればいいかと思います。個人的な見解を申し上げますと、このプロジェクトは要注意ですが引き受けるべきだと思います。」

5. シニアマネージャーから社長へ

「このプロジェクトは我々がレガシーなシステムのデザイン変更が可能だということの、業界へのデモンストレーションとなるでしょう。プロジェクトを成功させるために必要なスキルと人材はそろっており、数人はもう自宅研修が終わっています。個人的な見解を申し上げますと、どんな状況においてもこのプロジェクトを逃すべきではありません。」

6. 社長からクライアントへ

「私どもはこの手のプロジェクトのエキスパートです。現在まで多くの似たようなプロジェクトを、多数の大手クライアントさん向けに手掛けてきました。この種の仕事は他社に負けません、ぜひとも我々にお任せください。個人的な見解を申し上げますと、このプロジェクトは我々なら期限以内に仕上げられます。」

親父が感じたかった風

親父が定年で退職する前、俺は大型バイクも乗れる免許だからハーレーでゆったり旅でもしたいなぁと話していたんだ。
酒呑みで、車でも飲酒で捕まるようなアル中に近い勢いだったから、当然反対してバイクには乗らせなかった。
当時、俺26歳、親父60歳。

61歳、肝硬変→食道静脈瘤の破裂→出血性ショック→多臓器不全で一晩で逝った。
俺が高校時代、原付MT50でツーリングに行くといつも羨ましそうに話を聞いていた。
若い頃にバイクに乗っていた話も聞いていた。
60歳になり、自分が育てた会社に解雇されストレスを抱えていることは分かっていた。
俺も姉貴も自立してなかったしね。
それで酒に逃げていたことも。
酒に逃げる姿に、新しい生き甲斐を見つけようやと叱咤したこともあった。
でもバイクだけは絶対に乗せられなかった。

あれから13年、俺は自動二輪の免許を取った。
原付とは世界の違う旅にあちこち行った。
楽しければ楽しいほどに、何故あの時乗らせてあげなかったんだろうと悔やまれる。
山の景色や、バイクの風を感じれば、酒なんてやめられたかも知れない。
もし万が一事故を起こしていても、人に迷惑さえ掛けなければ、どの道たった1日で失われる命だった。

親父、自立してなくてゴメン。
ハーレーに乗るのを大反対してゴメン。
でも今は立派にお袋や実家を守ってるし、親父が感じたかった風を俺は感じてる。

天国からで構わないから、俺の楽しい姿や、旅先での喜びを一緒に感じてくれ。
生きてるときは一緒に走れなかったけど、今でもあんたが傍に居ると信じてるから。

追伸
こないだ転倒したとき、お前はまだ来るなと助けてくれてありがとうな。

親父とのツーリング

大学生の時に免許を取ってバイクを買った。
下宿先からバイクで帰省。疲れて果てて寝て起きたらバイクが無い・・・
母に聞けば「お父さんが乗って行ったわよ」と。昔無断で親父のスキー板を借りた時は烈火の如く怒ったのに勝手な・・・なんて思ってた。
(親父は高校時代にバイクに乗ってて、事故って意識不明の重体になった事があるとかで、子供全員が高校を卒業するまでは、と母が止めていたらしい)
その頃は好き勝手やって家族を顧みず、家に居ればいつも不機嫌な親父の事が大嫌いだった。

それから暫くして俺は大学を卒業。リーマンショックの影響で内定取り消しをくらい実家へ出戻ったんだ。
そんな折、友人からバイクを預かって欲しい出来れば乗って欲しいと言われた。俺は自分のバイクがあったから親父に聞いてみたんだ。「乗ってくれるなら引き上げてくるけどどうする?」って。
親父は一も二もなく預かってやれ、と言うから軽トラで友人のホーネットを引き上げ、親父のバイク生活は再び始まった。
そこからみるみる人が変って、俺ともなにかしら関わろうとするし、休日に母親を誘ってどこかへ出かけたりもするようになった。(今までそんな事は一度も無かったんだ)

それから1年程して俺もなんとか就職先を見つけて、家を出て働くようになった。
R1を買った、と親父から連絡が来たのは今年の1月の話。
親父はその時「お前がずっと大型乗りたがってたのは知ってる。大学出てからちゃんと金入れてるんだから、就職もしたんだし欲しいバイクがあるなら買え。保証人くらいにはなってやる」って言ってくれた。
俺は数ヶ月悩み悩んでS1000RRを買う事に決めたんだ。親父は定期的に「決まったか?」と連絡をしてくるので車種を伏せてBMを買う、とだけ伝え7月末のじーちゃんの法事にバイクで帰って自慢しよう、なんて思ってた。
納車は7/2。納車の日は凄くいい天気で、初めての大型、SS、しかもBMって事で気分も最高なまま慣らしツーリングに出かけたんだ。

けど、その道中で親父が事故で亡くなったって連絡。反対車線をまたいで店に入ろうとした車にはねられたらしい。
喪主だったのもあって通夜告別式とあっという間に過ぎて行ったんだけど、その数日で親父のツーリング友達が沢山声をかけてくれた。

つい先日、俺も昔からよく知ってる親父の友達から電話がかかってきた。
「親父さんは君のバイクを凄く楽しみにしてた。普通は子供が親よりいいもんにのるってなれば機嫌を損ねてもおかしくない。まして親父さんはそういう性格だしな(笑)でも、君とまたツーリングするのを凄く楽しみにしていたみたいだよ」
って。
親父の事故は状況を聞く限り絶対に回避出来なかったと思う。俺はまだ独り身だけど、親兄弟居るし、この先バイクを降りるかもずっと考えてた。
この人の電話で、親父の分まで走らなきゃって思ったんだ。
俺はまだ一度も親父のR1を見てない。親父にもS1000を見せてない。お互いに親子じゃなくて、バイク乗り同士として自慢話をしたりバイクを交換したり、もっといろいろしたかった。親父だって女ばっかりの家じゃバイクの話なんて出来んの俺しかいないしさ。

乗り続ける事を決めた俺のバイクの鍵には親父のR1の鍵がついてる。
自慢とか、交換は出来ないけど、親父と一緒に今日もツーリングしてきたんだ。

職場恋愛で結婚した旦那の表と裏

職場恋愛で、はぶりが良くて後輩に慕われまくる旦那と結婚した。
毒親持ちで家庭でも修羅場があった私はファザコン気味で旦那は12ほど年上。
しばらくして妊娠。
そこから旦那がおかしくなってきた。

・私の携帯を覗いて友人チェック。
・メールもチェック。
・トイレ掃除で便座の蓋を開けたままにしていたら浮気を疑われて怒られる。
・喧嘩をすると口のまわらない私の揚げ足を取りまくって謝罪させる。

など。
浮気なんかした事ないし旦那が大好きだたし子供が産まれたら変わってくれるryとか思って出産したら酷くなった。

・私の携帯メールの文字予測?な機能で勝手に文章を繋げて浮気呼ばわり
・無理矢理外出をさせられて行きたい所がないと答えるとキレル
・旦那が給料を管理し始め貯蓄など見せてくれない(毎月食費に2万だけもらった)
・旦那親マンセー、私親はクソ、と言ってくる(旦那親もクソでした)
・「俺はこいつ嫌いだから連絡するな」と私の友人を近づけない

反論しても何しても「俺の事が好きじゃないんだな!」と言われ、大好きな旦那に疑われてはいけない、と旦那のされるがままになった。

1年もしたら、友達がほとんどいなくなった。
旦那が怖くて、私から連絡もとらなくなった。
暴力は無かったが、怒らせると何をされるかわからない感じがして怖くて従ってた。
親にも職場にもいい顔してる評判のいい旦那だったので、そんなモラハラなんて信じてくれなかっただろうし、未知の恐怖をどう説明していいかもわからなかった。

ある日、家電のケーブル?が抜かれて隠されているのに気づいた。
電話は携帯があるし、元々めったに鳴らなかったから気づかなかった。
差し込んだら電話がジャンンジャン鳴った。
金融の督促の電話だった。
まさかと思って、家中を調べた。
督促の書類や審査がおりた書類や返済明細がワラワラ出てきた。

ざっと300万の借金が発覚。
(ちなみに、携帯料金が一月に20万の明細もあった)
駄目だと思って、義母を呼んで話し合った。
義母の前では私に怒られる図を作り大人しかったが、義母が帰宅すると一変した。
無言で窓を閉めてドアを閉めてカーテンを閉めて、ああ、私は殴られるんだと思った。
数発殴られ、悲鳴を聞いた近所の人がドアを叩いたのでその場はそれで終わった。
隣家のおばちゃんに助けを求める私に
「お、お前何言ってんだよ、ズルイよ演技すんなw」
と言い訳する旦那が気持ち悪かった。

もう旦那が好きではないと気づいた。
ただ、離婚を切り出したらキレて殺されると思った。
親は毒で頼れない貯金もない相談する友人はもういない。
でも逃げようと思った。

旦那が仕事に行くのを見送ったスキに、私と娘の荷物をまとめた。
ブッ●オフの店員さんを呼んで、私が結婚前から集めていた著書やCDなど全て売り払った。
そして、食費を浮かせてコツコツ貯めたお金と合わせて所持金は2万円になった。
置手紙を残して家を出た。

鍵を旦那に取り上げられてて、全然乗れなかった自分の車に鍵屋を呼んだ。
鍵を作る間、誰かに見られてないか、旦那が回りにいないか、ビクビクしながら待った。
無事に鍵を作ってもらい、1万ちょいくらい(だったと思う)払って車に乗ろうとしたら、車内にアダルトDVDが山のように転がっていた。
ロリコンと痴漢系だった。
気持ち悪くて吐いた。
全部車からだして、その場に放置した(ごめんなさい)

その後は、とにかく車を走らせた。
しばらく走ってていたら何故か涙が出てきて、あー、涙出したのって久しぶりだなーとか考えたら止まらなくなった。
運転できず危ないと思い、道の脇にとめてわんわん泣いた。
つられて泣く娘に、「ごめんね」と謝って泣いた。

ふと、車の窓をコンコンと叩く音に気づいた。
消防士?消防団?の人がいた。
子供の泣き声が聞こえたので様子を見にきたと。
大丈夫ですか?と言われて、また泣いた。
その人に案内されて、近くの自治会所みたいな所へ連れていかれお茶を頂いた。
娘にはお菓子をくれた。
少し話をしたら、どうやら隣県まで走ったようだった。
行く所が無いとか、恥ずかしくて言えず旦那が怖くて逃げていて、と言葉を濁していたら役所へ行ってみなと教えてくれた。

そこからは早かった。
私と娘は行政に保護された。
前に、家を追い出されて裸足で警察署で保護された事や、旦那が元彼女をDVしていた事を、隣家のおばさんが証言してくれたみたい。
もちろん、旦那はシャットアウトされ、代理人を通して離婚が成立した。
もっとゴネるかと思ったが、表向きはいい顔する旦那だったのでスンナリ終わった。

申し訳なかったけど、一ヶ月間ほど生活保護のお世話になり、就職先と保育園を見つけて、生計をたてる事もできた。
元になった旦那は、散々死ぬ死ぬ詐欺を繰り返し去年、後味が悪い結果になったので省略。

長いこと、読んでくれてありがとう。

かぁちゃんを化粧してあげる

母にはじめて化粧したのは静かな病室でだった 死化粧だった。
看護師さんが持ってきた病院の備品であろう一通りの化粧品。
うちは色白家系なんだからこのファンデーションの色は合わないよ、と思いながらパフにとりまだ少し温かい肌に滑らせた。
肝臓も少し悪くなっており、若干ではあるが黄疸がでていたため思いのほか色が馴染んだ。
アイシャドウはやめた。変に色をのせると顔色が悪くなりそうだった。
チークはコーラルピンクを気持ち広範囲にふんわりとのせたら血色が良くなった。
「お母さん睫毛短いね」
ってからかうとそんなことありません、と言わんばかりに目をぱちくりさせて強調させた睫毛は涙でよく見えなくて、上手く捉えることができずマスカラは断念した。
口紅は薄づきのベージュピンク 家に帰ってから私のグロスを使って重ねてつけた。
つやつやしてハリが出たみたいで若返ったように見えた。
フェリエで産毛の手入れもした。
今にも起きそうな顔だった。
起きて「ちょっとこの化粧若すぎない?」って笑って欲しかった。

それから私は母譲りのこの白い肌を誇りに思うようになった。
美人ではないけどね。

そうは言っても親なんだから

うちの母は、小さい頃から「人のためになることをしろ」と子どもに教えてきたのよ。
だから、大人になってなんの疑いもなく骨髄バンクに登録したんだ。
知らせたら
「それはいいことだね。いつか提供できるといいね」
と言っていた。

で、ドナーに選ばれてさ。
「その人が元気になれるといいね。登録しててよかったね」
と母は言っていたわけよ。自分でもそう思ってた。
ところがですよ。いざ、提供の最終同意の段になったら、ものすごく険しい顔で
「心配なんです。後遺症が残るんじゃないか、本当に無事に終わるのか」
なんて言い出した。

何言ってんだよ。俺が登録するって言った時も、ドナーに決まったって言った時もずっと賛成してたじゃんか。喜んでたじゃんか。
そう言ったら、言うわけよ。
「心配なんだよ、親なんだから。お前が心配しなくていいって言ったって、親なんだから心配するんだよ!」
だから、俺は言ってやった。
「極当たり前に、人のためになることをしようと思えるように俺を育てたのは 母さんたちだろう。心配ないよ、絶対大丈夫だって」


それで、提供の入院するときも、完全看護なのに毎日見舞いに来てくれてさ。
いらないって言ってるのに、心配だから行くんだって怒るんだよ。
まったく、勝手だよな、親ってさ。

で、無事に骨髄採取してさ。そしたらさすがにショックで血圧下がって、氷みたいに体が冷たくなっちゃってさ。
電気毛布とかかけられて寝てるとき、母が手を握り締めてきて、言うのよ。
「無事に終わってよかったね」
手が、ものすごくあったたかった。

きっと、あのあったかさは忘れない。

お母さんはいつもダメダメって言うからさ

回転寿司のカウンターにて。
父親と娘(3歳くらい)。

娘「(歌いながら)おすし!おすし!うれしいな♪」
父「今日は好きなの取っていいよ」

娘「え!何色のお皿でもいーの?」
父「いいよ」

娘「プリンから食べてもいーの?」
父「プリンは最後にしよっかw」

娘「お母さんはいつもダメダメって言うからさ~、うるさいなあって思うんだ~」
父「www」

その後、ご機嫌で食べてたが急に黙り込む。
よく見るともぐもぐしながら、すすり泣き…

父「どうしたの?」
娘「おすし…ポテトもおいしい…ね」

父「おいしくて泣いてるの?」
娘「あのね、お母さんにも食べさせてあげたいなあって…思ってたらね、
悲しくなってきちゃったの。」

父「(ちょっと涙ぐみながら)…そうだね。元気になったら一緒に来ようね。」
その後もしゃくりあげながら食べ続ける娘。
お母さんはどうやら入院したようで、お見舞い帰りに回転寿司に寄った模様。

いつもより醤油がしょっぱく感じた出来事でございました。
プロフィール

ナイア

Author:ナイア
どこかで見たことのある話を載せていきます。

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