名を聞かせ給え

加賀120万石の礎を築いた名君として名高い前田利常の家臣、平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。

大坂夏の陣の際、真田丸を攻めていた弥次右衛門は鉄砲隊に照準を合わせられた。
いち早く気づいた五右衛門は主君の前に立ちふさがり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。
だが五右衛門は倒れずそれどころか「なんのこれしき、かすり傷でござる!」と笑い捨てた。
合戦は一時中断、五右衛門の剛気に感銘を受けた真田丸の兵達は、「名を聞かせ給え」と五右衛門に声をかけた。

ところが五右衛門は押し黙り困惑した。下人に過ぎない五右衛門は姓を許されていなかったからだ。
これを見た主人の平野弥次右衛門はすかさず「我が姓をつかわす!」と大声で言った。

これを聞き五右衛門は渾身の力を振り絞り叫んだ。
「我こそは平野弥次右衛門が下人、五右衛門なり!
これまで御供したる褒美としてたった今姓を賜り、平野五右衛門となり申した!」
血の霧を吹き出しながら言い終え、崩れ落ちた平野五右衛門の死に顔は微笑んでいたという。

静まり返った両軍からやがて平野五右衛門を称える槍や箙を打ち鳴らす音がいつまでも続いていた。

400年ほど前の日本には男達がいた。
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両親を旅行に連れて行ってやろう

高校卒業してから4年間何にもしないで家で金を使うことしかしてなかったんだ。
ネトゲやったりとかゲーム買ったりとか。たまに親にも怒鳴り散らしたりもしたな。
そんな駄目な俺が2年くらい前かな。カーチャンスレ見てから必死でバイトと勉強して
やっとCMとかやってる大手企業に就職できたんだ。本当にうれしかったよ。やっと親孝行ができると思ってね。

そんで去年かな。ある程度お金が溜まったから旅行に連れて行ってやろうと思って内緒で旅行を予約したんだ。
定番だけど温泉ね。出発の一ヶ月前に内緒で家に帰って発表したら
「ありがとう……本当にありがとう……」
と涙を流しながら喜んでくれたんだ。この為にお金を貯めたのかってくらい嬉しかった。
そんで、それを近所とかに自慢してやがるのww一人暮らししてるから近所のおばちゃんから帰省の時に言われたときは恥ずかしかったw

それで出発の3日前になって電話が掛かってきたんだよ。けど仕事中だから電話に出られなくてさその時は無視してたんだ。
んで後でかけ直したら親父が出てさ

「旅行は中止だ……」
って涙声で言うわけ。訳が分からなくて「何でだよ?風邪でも引いたの?」と聞き返したんだ。そしたら後で
「母さんが……ひき逃げされて……それで……」
頭が真っ白になってその後はよく覚えてないけど。気がついたら葬式の準備が進んでたんだ。

結局母さんは2日間意識不明だったんだけど容態が急変して死んじゃったんだ。
楽しみにしていた旅行が最悪の轢き逃げの所為で葬式になっちまったんだよ。
母さんの遺品を整理しながら自分を悔やんだね。なぜもっと早く親孝行出来なかったのかと。
遺品の中にあった日記帳にはさ
「○○が旅行を予約しててくれたみたい。やったー!」
とか
「旅行まで残り3日!!前日には○○も来るだろうから一杯ご馳走を作れるようにしとかなくちゃ!」
とかギッシリ書いてる訳。それ見てたら泣けてきてさ。濡らしたらもう読めなくなるのに。
涙で文字が滲んで読めなくなるのにボロボロと流れてきたんだ。
その後で家から出てって犯人捜したけど結局見つからず。たぶん捜査は殆ど終わってると思う。

だからこんな事が起こる前に恩返しできるやつは早く恩返ししろってこと今は父さんに恩返ししてる。文章下手ですまん。
あと飲酒運転とかしてるやつは絶対にするなよ!絶対にだぞ!!

妻との約束

80歳くらいの年配の紳士が指の抜糸をしてもらいにやってきた。
彼は9時に約束があって急いでいたので私はすぐに診察することにした。
傷を診てみると、もうほとんど治癒状態で私は抜糸をすることにした。
傷の処置をしながら、なぜそんなにお急ぎなのですか、と訊いた。
老紳士は、老人ホームの妻といっしょに朝食を摂ることになっているんです、と答えた。
彼の妻の健康を尋ねると、認知症で老人ホームにすこし前から入居しているんです、と言った。
それでは遅れると奥さんが困りますね、と問うと、
老紳士は、妻は数年来もう私のことが分からないのです、と答えた。
「もうあなたが分からないというのに、あなたは毎朝奥さんのところに行かれるんですか?」
紳士は私の手を軽くたたいて微笑んで言った。
「妻はもう私のことが分からないですが、私はまだ妻のことが分かるんです」

最期に会えて良かった

オレは東京の大学に合格し上京した。
夏休みと冬休みは実家に帰り家で飼っている猫と遊んだ。

その猫はオレが小学生の頃に、母親の知り合いのところで猫が子供を生んだからと言うので母ちゃんと一緒に見に行って、その中で一番可愛い奴を貰ってきた猫。

仔猫の時は箱にタオルを敷いて中に入れ、オレのベッドの枕元に置いて寝かせていた。
大きくなるとオレの布団に入ったり、上に乗ったりして寝ていた。

オレが東京に行くと、猫は母ちゃんの布団で寝るようになったそうだ。
でもオレが実家に帰るとオレの布団に入ってくる。

そんなある日、実家から電話が入った。
猫が母ちゃんの布団に来なくてオレのベッドの上で泣いているとそれが毎日のことなので一度帰ってきてあげて・・・

オレは金曜日の授業が終わるとそのまま東京駅に行き新幹線で帰省した、
家に着くと猫は大喜びでオレに擦り寄ってきた。
でも昔ほど元気はない、もう10才くらいになるから。
その夜、猫はいつものようにオレの布団に入ってきて、オレにぴったりくっついて添い寝をし、嬉しそうににゃーにゃー鳴いていた。

翌朝、目を覚ますと布団の中で猫は息を引き取っていた。
あまりに急なことでオレはしばらく声も出なかった。
ただ涙だけが止めどもなく溢れてきた。

その後、家族に猫の死を知らせに行った。

君が生まれるまでに

君がママのお腹にいるとわかったとき、ママは涙ぐんでいた。
妊娠したと聞いて僕は
「おーそうか」
なんて冷静に言おうとしたけどすぐに涙がでたんだ。

決して口には出さなかったけど、なかなか子供を授からないことでママは自分を責めていた。
僕はそれには気がついていないふりをしてきたから泣いたらダメだったんだけど我慢できなかったんだ。
君は生まれる前から、ただママのお腹にいただけで僕達二人を幸せにしてくれたんだよ。

それからの十月十日は毎日パパとママは君のことを考えていたんだ。
ママはお酒もカフェインも生ものも制限して生活していたし激しい運動はもちろん、人混みなんかも避けて生活したんだ。
あのママが外出を控えるだなんて信じられないだろう?

そして君の服を買ったり、家を清潔にしたり、家具を変えて君の場所を作って、無理して車まで買い換えてすべてが君を中心に動き始めたんだ。

トイレに行っても手を洗わないような僕が毎日うがいと手洗いをしたのもママに風邪を移さないためだったんだよ。

最初の3ヶ月間はとても不安だった。
僕は誰にでも早期流産の割合が15%もあるなんて知らなかったんだ。
病院で検査があって、ママからの報告メールがあるたびに本当にビクビクしながら開封していた。
だけど検査の時にもらえるエコーの写真はとても楽しみだった。
心臓の音なんかも聞かせてもらったよ。

つわりで体中に湿疹ができたこともあった。
ママの腕や腿は正常な皮膚が見えなくなるぐらいひどい状態にまでなったけど刺激の強い薬が使えないから痒くて眠れない夜もあった。
あまりに辛そうなママをみて、僕はママに
「大丈夫、絶対に良くなるよ」
と初めて根拠のないウソをついたんだよ。
あの時は僕はこんな日が半年以上も続くなら無理だと思ったけど君のママは信じられない意志の強さでつわりを乗り切ったんだ。

そんな辛いこともあったけど、君がお腹にいることで、僕はもちろん、おじいちゃんやおばあちゃんたちもとても幸せだった。

僕らは顔を合わせるたびに君の話をしたんだ。
君の体重がどうなったとか、性別はわかったのか、名前を決めたのかとかね。
君の体重が1g増えるだけで幸せだったんだ。信じられないだろう?

そして君の家族はみんな君が生まれることを1年近くも心の底から願っていた。
僕たちは君に会えるのを本当に楽しみにしていた。

ついに君が生まれた瞬間はもちろんみんな泣いた。
うれしくて。うれしくて。
生まれてきたことがうれしくて、僕もママも、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおばあちゃんまでが泣いたんだ。

これはあまり伝えたくないけど、僕は君の出産中あまりに懸かっているものが大きすぎてうろたえていた。
院長先生に「パパしっかり」といわれてやっとか細く2回だけ「がんばれ」ってママにいったんだよ。
生んだのはママだ。ママはすごい。

こんなことを綴って結局何がいいたいかっていうと要は君はなにかを成したりしなくても、なにか努力しなくても意味がある存在だってことだ。
(僕はいま君がうんこをするだけでものすごく喜んでいる!)
君が生まれるだけで神に感謝して涙を流した人を少なくとも僕は8人も知ってる。
そして実は君が生まれることを通じて僕自身も生まれて初めて自分は生きていていいんだと感じることができた。

もし君が自信をなくしてたり、不安を感じることがあったらこのお話を思い出してほしい。
君は生まれてきただけで本当に価値がある存在なんだ。

本当にうまれてきてくれてありがとう。

18年勤めた会社を辞めて気付いた事

高校を卒業してから18年勤めた会社を今月辞めた。
18年間で実家に帰ったのは数えられるほどだった。
いや、電話したのだって一年で1,2回だけで、用事があるときにしかかけてなかった。

今日、母が昔から書いている家計簿を発見し、中身を見てみた。
俺が14歳のときに離婚して、女ひとりで兄弟2人を育ててくれた母の家計簿だ。

そこには、自分が知らなかったことがたくさん書いてあった。
毎月の収入、出費・・・生活するのがやっとの金額だった。

そこに小さな字で書いてあった。

○月○日  息子から電話

自分の電話が母にとってそんなにうれしいことだったなんて・・・
涙があふれて止まらないよ、今までごめんよ・・・ 

祖父の船を水屋に入れようと思ったら沖に流された

565 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 11:47:52 ID:hjbxChdf
20代の時失業したので、田舎で一人暮らしをしている祖父の家に泊まりに行っていたら祖父が階段から落ち、入院した。
漁師の祖父に船を、水屋(家の一階が半分海に繋がっている家。うちでは倉庫に使っていた)に入れるように頼まれた。
何度も手伝っていたので(俺も船舶免許有り)了解して、船を動かした。
舟止め場からいったん沖に出て、迂回して水屋を目指したが鈍い回転音がしたと思ったらエンジン停止
かろうじて手動で舵が効く状態になり、どんどん沖に流された。
遠洋用の漁船ならともかく、祖父のモーターボートには無線も無い。
慌てて発光信号を送ったが既に岸から8kmは離れている。
4時間ほどたち、小さな島の傍まで流されたので必死にオールで漕いで岸に着けた。
船を固定し、島中歩いてみたがどう見ても無人島。
手持ちは、煙草とライター、腕時計、晩飯に買った弁当とカップ麺、2lのお茶。
船の道具入れに、ヤカン、合羽、裁縫道具(網を修理する用)、薬各種、ナイフ、工具があった。
あと、釣り道具は当然ある。

それからサハイバルですよ。こつこつエンジン直して自力脱出するまで5日間。
祖父は「見舞いに来ないなー。交通が不便な場所だし仕方ないか。退院するときは迎えに来るだろう」
と呑気に構えていたらしい。
地域の人は、みんな俺が船を水屋に入れたと思っていたし、姿が見えないのは祖父の看病に病院に行っていると思っていたらしい。

船の学校出ていて本当に良かった。エンジンいじる知識を教えてくれた先生ありがとうございます。
遭難したら、まずは水の確保。そして体力温存しつつ救助を待つ。
出来れば船影を見つけたらSOS信号を送る事。

当時ちょっとニュースになって、顔や名前が出たので少しフェイクいれてますが上記はほぼ実話。


566 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2010/07/31(土) 12:18:23 ID:sVj+kYtr
>>565
ひえ~~
自分だったらまず助からんわ
救助されるまでの過程などお伺いしてもよろしいか?


579 名前:565[] 投稿日:2010/08/01(日) 08:22:52 ID:wVyLz3B5
>>566
救助されてないんです。
エンジン直して自力で生還しました。

海水を沸かして、弁当の入っていたコンビニの袋を裂いて広げ蒸留水を集めたり
魚や貝を食べて生き延びました。
合羽は重要!あれが無かったら体温奪われて衰弱していたはず。

明日卒業する妹よ

明日一番下の妹が大学を卒業する。
実家からわずか30分のところだが、こっちのほうが通学楽だからと、一人暮らししていた自分のところに同居。ここ2年近く一緒に過ごしてきた。
卒業して4日後には就職先である東京へ行ってしまう妹。

毎日大学行きながら、建築デザインの学科で材料費のため、週5日7時間もバイトをし、いつも大学に半分泊り込みながらの作業。それでも泣き言一つ言わず、
「無理するなって言わないで。がんばってって言って。がんばってるから」

だってお前、高校時代卵巣取ったじゃないか。今でも痛みに座ることもできないときがあるじゃないか。あんなに大好きだった陸上、走ることもできなくなったじゃないか。
長く歩くこともできなくなって、家族旅行の登山中止したとき、あんなに悲しそうだったじゃないか。

つらい体で夜行バスにゆられ何度も上京して、4次面接までクリアして、ついに入りたかった職種・会社に入社が決まって、本当におめでとう。
そうそう会える距離じゃなくなるけど、おまえが本当にやりたいことができることがすごく嬉しい。

大都会で、頼る人も近くにいなくて、寮とはいえ初めての一人暮らし。
泥棒に入られたら。通り魔に襲われたら。悪い人に騙されたら。
悪いことばかり浮かんで、心配でならないよ。
いつも生真面目で、常識も知らない自分勝手な人たちに振り回され、それでも彼らを見捨てることなく、面倒見てきた妹よ。
もう少し楽に生きてちょうだいね。
たまに帰ってきたら、また一緒にあんみつ食べにいこうか。

明日卒業する妹よ、おまえがいてくれたこと、心の底から感謝するよ。

兄から遺書を渡された

私の家は父が私が出生してすぐに離婚し、旧姓に戻った母親とその父である祖父・祖母・兄と私で暮らしてきた。
旧軍人の祖父と祖母は商売をしていて母もその手伝いで私と兄を大事に育ててくれた。
おかげで私も兄も成長し、兄が自衛官・私は大学生になっていた2011年。
あの東日本大震災に兄が災害出動することになった。

出動前に兄が自宅に戻ってきて祖父・祖母・母と私と食事をすることができた。
兄はいつもの調子で冗談を飛ばし、直接の被害がなかったとは言え沈んでいた私たちを笑わせてくれた。
だが深夜になって私と祖父を呼んでこう切り出した。

「今回の出動では地震津波被害の他にも原発への救援もある。だから万が一にも無事に戻っては来れないと思う。どうか自分がいなくなったあとも、家族をお願いします」と祖父と私に遺書を渡してきた。

私は兄が死にに行くんだと思って取り乱して泣いて嫌がった。
祖父はそんな私を諌めて兄の遺書を粛々と受け取った。
改めて兄に向き直り、

「国家危急の時、○○家嫡男として国民の為に尽くし、決して生還を諦めずに戦いなさい」
と兄に激励の言葉を送った。

翌朝まだ日が明けぬ内に兄を見送った。
祖父と兄が互いに敬礼し、昨夜の遺書もあって否が応でも非常事態ということを認識させられた私の心は修羅場だった。


無事に活動を終え、戻ってきた兄に抱きついてわあわあ泣いたのをご近所中に見られて恥ずかしかったと、兄があの時を振り返って嬉しそうに言ったので書いてみました。

乳飲み子を抱えた状態で、夫の前妻との子供3人を引き取った  

最初に旦那は8つ年上のバツイチ。
子供が3人(現在小2、小1、年中)いて養育費を払って前妻さんが育ててる。
私が19の時、母の余命が半年と知って旦那と結婚した。(ここはここで色々あるけどはしょります)
その二年後21歳で男児を出産、息子が生後3か月の時に3.11が発生。

関西在住なので被害はまったくなかったのですが、旦那の前妻さんの実家が東北で被災したらしい。
結論を言うと子供たち3人を残して前妻さん、前妻さん母が亡くなってしまった。
旦那の元義父から連絡がきて子供たちを引きとることに。

ここにくるまで相当の修羅場だった。

初めての乳飲み子を抱えて私にも実家はないし、旦那の実家は義兄一家と障害がある叔父も同居してるしでもう本当に修羅場だった。

21歳でいきなり4人の子育て、しかも母親と祖母を亡くしたばかりの子供たちの母親なんて、知らない土地とほとんど記憶にない父親と知らない女と、その子供と暮らさないといけない子供たちも修羅場どころじゃなかったと思う。

でもみんなすごくいい子でなんとか今日までやってこれた。
もうすぐ子供たちがきて二年が経つ。

先週私の誕生日に子供たちが手紙を書いてくれた。

「わたしたちのおかあさんになってくれてありがとう、いつもおいしいごはんありがとう、ママのおいのりありがとう、XXちゃんだいすき」だって。

毎日この手紙と似顔絵を見て泣いてしまう。
これからもっと大変だけど頑張ろう。

書いたらスッキリしたので今日はよく眠れそう
プロフィール

ナイア

Author:ナイア
どこかで見たことのある話を載せていきます。

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